しあさっての方向

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宇多田ヒカル 「BAD モード」と不敵な笑み


宇多田ヒカルの新譜を繰り返し聴いている。最初はピンと来なかったけど3回目くらいから徐々に良さが伝わってくる感じ。とってもいい。

ジャケット写真はラフなスウェットの上下。端には子どもの姿も映る。家庭的でありながら、どこか不穏さを抱えたその表情。
そしてタイトルは「BADモード」
一筋縄ではいかない佇まいで、彼女は現れた。

ここ数年の彼女は、一定のクオリティを保ちながらどこか焦点の合わない感じもあった。前々作の「FANTOME」が母・藤圭子の生と死に触発されるように自らの生と死を見つめ、それが大きな喪失を経験した社会や時代とシンクロするという見事な構造を持っていたからかもしれない。
僕は当時「FANTOME」に共感する自死遺族の企画を作った。多くの人の悲しみと共振する宗教的とも言えるスケールの作品を世に出したその先はあるのか。
そんな余計な心配を抱いたりもした。

今回の「BADモード」当初その音楽と言葉は、いつにも増して複層的で捉えどころの無いものに感じられた。タイアップの曲も多いけれど、アルバムの中に並ぶとそれは「ひと連なり」のものとして流れを形成してゆく。
静謐なピアノに乗せた囁きのような歌は、最新のデジタルミュージックのトリッピーな世界へと移行し、日本語と英語はシームレスに連なっていく。

そしてそれは歌詞の世界でも。幸せな光景に影を差す不穏な予感。愛の中にあっても、次の瞬間には違う愛へと身を投じてしまう危うさが漂う。
男と女、恋人と友達。自分の中の真実。全ての境界が揺らいでいく。不確かなものだけが、確かなものであるかのように。

嘘じゃないことなど
ひとつでも有ればそれで充分
どの私が本当のオリジナル?
思い出させてよ      (君に夢中)

あの日動き出した歯車
止められない喪失の予感
もういっぱいあるけど
もう一つ増やしましょう
Can you give me one last kiss
忘れられないこと     (One Last Kiss)

宇多田ヒカルは、いつか幸せになれるのかな。本当に余計なお世話でしか無いけれど、そんな気持ちで見つめてきた人は多いと思う。あまりにも巨大な才能は、その主を思いがけない方向に導いていく。

シャーマンのようというのは常套句かもしれないけど、ひとりひとりの悲しみや喜びだけでなく、社会に巻き起こる大きな感情のうねりを、彼女は自らの歌声と言葉で描き出してきた。

 誰かの願いが叶うころ あの子が泣いているよ
 みんなの願いは同時には叶わない
          (誰かの願いが叶うころ

 もう二度と会えないなんて信じられない
 まだ何も伝えてない
 まだ何も伝えてない  (桜流し

震災の後に出された「桜流し」「まだ何も伝えてない」の歌声に涙を流した。身近な人を失ったわけでも無い自分。それでも涙が流れた。
色々な感情に反応し呼応してしまう鋭敏すぎるアンテナ。その感受性は、同じだけの鋭さで自らにも向かったはずだ。

どこまでも高く空を飛ぶことのできる無敵の翼のような才能と感性。それと同時に黒い沼から伸びる無数の腕が、空を飛ぼうとする彼女を暗闇に引きずり込もうとする。そんなイメージ。
巨大な才能と心の奥にある情念や呪縛。自分が望んだものでは無いものに振り回され、
それでも逃げる事なく、RPG冒険者のように自らの内面や傷口と向き合って作品を生み出していく。
その勇気溢れる表現者としての姿に、僕らは励まされてきた。危うさも感じながら。

ボンジュール!と明るくライブ会場で呼びかける姿。
お伽話の音楽隊のリーダーのように、自由自在に音楽を率いてどこかへと先導する。かつてはその元気な姿を見る時ほどに、ある種の痛々しさも感じる事があった。職場や学校で、必要以上に元気に振る舞おうとする女性を見る時のように。

しかし今回の宇多田には、繊細な危うさの先に、ある種の強さも感じられた。アルバムジャケットの不敵な表情を思い出す。

 他人の表情も場の空気も上等な小説も
 もう充分読んだわ
 私の価値がわからないような人に大事にされても無駄  
          (PINK BLOOD)

 いくつもの出会いと別れ
 振り返って、思う
 一人で生きるより
 永久に傷つきたい
 そう思えなきゃ楽しくないじゃん
 過去から学ぶより
 君に近づきたい  (誰にも言わない)

出会いの中にすでに別れはあり、例え永遠の別れの後でも失われないものもある。
みな同じじゃないの、と彼女は歌っているようだ。喜びも絶望も。

終盤、face my fear と彼女は繰り返す。
let me face my fear
どう訳せばいいのだろう
私よ怖れから逃げないで か
執拗に繰り返される歌声は、呪文のようでもあり、何かの扉を開ける為のマントラのようでもある。

地下鉄ですれ違う女性のスマホが目に入る。
そこにも宇多田の姿があった、ように見えた。
再び先の見えない不安にとらわれた今、宇多田ヒカルの歌は、きっと多くの人を励ますのだろう