しあさっての方向

本と音楽と酒と詩

さびしさと友達

どこでも同じ。どんな場所でも同じ。
僕は自分と似た感じの人を見つけて、仕事をしている。
僕と同じようなさびしさを抱えた、どこかうまくいっていない誰か。僕はそんな人と出会ってきて、その人のことがよくわかる。
それは友達だったり後輩だったり、時に取材対象だったりもする。今を生きる人だったり、もういなくなった人だったり。でも君の気持ちは誰よりも、僕がわかるような気がするんだ。
そのさびしさを仕事の形に翻訳して、僕は生きている。
さびしかった君もいつかそうでなくなって、力強く歩んで行くだろうけど
僕は変わらずに、さびしい人の表現を探してる
人工的な光に照らされた、遮蔽物のない部屋。
暗がりを探して、資料室に逃げ込む。
逃げ込んだ資料室にもたくさん人がいて、息が詰まる。
固まりすぎなんだよ、僕らは。
一定の面積の中に一定以上の人がいると、人は集団になる。
もっと皆さびしくなるべきなんだ。昔そんな事を誰かが言っていた。
さびしかった頃の、君の揺らぐ視線を思い出す
何者でもなかった頃の、
かさぶたを剥いたばかりの皮膚のような敏感な感性
それはそれで、困ることはあったけど
うまくいってなかった頃の、君の不安な目を思い出す
今も変わらずに不安な気持ちで、僕は歩いてるよ
自分に似たさびしさを探しながら

ベティス万歳! 緑の祝祭

スペインサッカーのベティスが国王杯で優勝!
よく考えてみると、応援してるチームが頂点を極めるって初めてかも。
というか「何かのサポです」みたいな事はベティス以外になく、そのベティスの17年ぶりのタイトルなんだから、それはそうだよね。

20年前のスペイン旅行でたまたま「本場のサッカーでも見るか」と足を運んだのが、改修前のベティスのホームスタジアム、ベニートビジャマリンでした。
サポーターは全員「ケン・ローチの映画に出てましたか?」ってくらいのリアルワーキングクラスで、元気が良かった頃の山谷や西成と同じ怖さがあった。

ベティス野沢尚さんのサッカー小説「龍時」の舞台にもなったチーム。若きホアキン・サンチェスが実名で登場した。
野沢さんが亡くなってしまったから未完で終わった作品。スピードスターのサイドアタッカーホアキンは、主人公のライバルとして小説の中でもピッチを切り裂いていた。

40歳になったホアキン・サンチェス
今シーズンでの引退を表明して、それが惜しまれるような活躍を見せていた。スピードで切り裂くような場面はない。でもサイドでボールを持つと、年下の選手にレッスンを施すようなパス。

「ほら、こうすればチャンスが生まれるだろ」

かと思えば自らインサイドに切り込み、巧みにボールを運ぶ。
誰かが書いていたけれど「過去のレジェンドは現代サッカーでは通用しない」そんな言説を否定する証明のように「サッカーを知ってる」ことがどれほどのアドバンテージになるかをプレイで示していた。

WOWOWのドキュメンタリー「ノンフィクションW」でもベティスは取り上げられた。WOWOWがチャンネルを3つに増やし、素敵なドキュメンタリーを連発していた頃。ベティスとセビージャという、同じ街の宿命のライバルを描いた作品は、何度も見た。

「緑の血を燃やせ ~情熱の街のフットボールクラブ~」

格上のセビージャに負けることが多かったベティス
相手のスタジアムへのサポーターの「緑の行進」。
その時に叫ぶスローガンがあった。

「万歳ベティス!たとえ敗れようとも」

そんな事を言えるサポーターって何て素敵なんだろう。敗北、それはチームもそうだし彼らの人生だってきっとそう。でも、戦う姿勢は失わない。

自分の腕の静脈を見せて「見ろ、俺の血は緑だろ」と言い張るおじさん。80代になってもスタジアムで応援するおばあちゃんもいた。

試合は進む。

今のベティスの中心選手はフランス代表のナビル・フェキル。アルジェリア系、ナジーム・ハメドのような不敵な佇まい。ディフェンダーに囲まれても滅多にボールを奪われない。
むしろ密集した中にあえて飛び込んで、強引に活路を見出していく。そして意表を突くノールックパス。チームメイトはその意図を汲んで攻撃が続いていく。

1−1となってから何度もチャンスを作りながら決勝点を取れない。それでも選手のプレイからは闘志と集中力が感じられる。
今年のセビージャ・ダービーでは満足のいく結果を出せなかったベティス。この一戦にかけている。ホアキンに最後の栄冠を与えたい。きっとそんな気持ちもあっただろう。

朝5時から始まった試合。
90分が終わり、延長の30分が終わり、PK戦となった。バレンシアのGKも相当の集中力でベティスの攻めを跳ね返していた。攻勢のままあと1点を取れなかったベティスにとって、いい流れではないんじゃないかと心配した。
僕はいつものように、負けを準備していた。

85分から出場していたホアキンは2番目に蹴った。
落ち着いてゴールに流し込んだ。相手の4番目のキッカーを、39歳のブラボが止めた。
最後はちょっと気の弱そうな顔のミランダがしっかりと決めて、ピッチに倒れ込んだ。

スタンドのファンが泣いていた。何を言ってるのかは、わからない。でもはっきりとわかる。

「俺の人生に、こんないい日が来るなんて」

彼らはそう言っていた。僕もちょっとだけ泣いた。
僕の人生に、こんないい日が来るなんて。

国王杯を受け取ったのはホアキン。そしてピッチで待つ仲間たちの元へ。
フェキル、カナーレス、フアンミ、ボルハ・イグレシアス、バルトラ、グアルダード・・。時に荒々しく相手を削る男たちは、本当にいい笑顔で笑っていた。勝利のために用意されたTシャツを着て。

僕はdazn歓喜のシーンを繰り返し再生する。これから何度も繰り返してみるだろう。

「万歳ベティス!たとえ敗れようとも」

村田諒太vsゴロフキン 「黄昏の名勝負」

4月9日。午後8時40分から9時40分。1時間の間に、何度も驚いた。
村田諒太ゲンナジー・ゴロフキン。色々な意味で心を揺さぶられた戦いだった。

最初の驚きは入場5分前。ゴロフキンはまだ、バンデージを巻いてなかった。え、これから巻くの?いくらなんでも遅すぎない?陣営はリラックスしたムードで、ゴロフキンの表情もいたって自然体。日本に仕事をしにきた。そんな感じ。
試合を終わった今となればこう言わざるをえない。おそらくゴロフキンは、この試合を舐めていた。

村田の入場。その表情に驚く。それは今まで見たことがないもの。引き締まったといっていいのか、思いつめた表情にも見える。何か、死を覚悟した表情のようにも見えた。

試合開始。ゴロフキンの重いジャブ。しかし村田のボディもヒットして、ゴロフキンは嫌がる。村田の状態の良さか、ゴロフキンの衰えか。
どちらもあるけれど、徐々に後者の要素が大きい事がわかる。2ラウンドになると、ゴロフキンのトランクスがヘソの上まで挙げられていることに気づく。
それはボディを打たれたくないボクサーがやること。ちょっと恥ずかしいぞGGG。しかし村田のボディも時々ローブロー気味。でも引き上げたトランクスのせいで、返ってローブローか判断しづらい。それに気づいたのか、気がつけばトランクスは普通の位置になっていた。

そしてゴロフキンの動きの遅いこと。序盤は目を覆うほどだった。これが「世界最強ゴロフキン」だとは思ってほしくない。
昔、よく衰えた往年のチャンピオン(ロベルト・デュラン的な)が、お金ほしさに日本にやってくる事があったけど、それくらいゴロフキンの状態は悪かった。

試合が空いたせいなのか、年齢のせいなのか、あるいは舐めてたのか。全部あるだろうけど、後頭部を狙うスローなパンチを出す姿は、本当に目を覆うほど。
(カネロは「これなら楽勝」と契約を急ぐだろう)

そして村田のコンビネーションは鋭い。元々ディフェンス技術の高い村田は、序盤の3ラウンドでゴロフキンのパンチに慣れたように思えた。「絶対村田が勝つよ」見る目のない僕は、知り合いにそうメッセージを送った。
序盤の3ラウンドは自分の採点では、全部村田。(ジャッジは1Rをゴロフキンに振っていた)衰えたゴロフキンを日本で村田が倒す。それが望ましい結末なのか、わからないけれど。

潮目が変わったのは4ラウンド。それがどのパンチだったのかは、わからない。
結果から言えば、村田がゴロフキンに慣れるより早く、ゴロフキンも村田のボクシングに慣れていたということかもしれない。ようやく、体がほぐれてきた。そんな印象すらあった。

そして、村田がガス欠を起こす、中間距離に活路を見出したゴロフキンを追いかける足がない。
そしてゴロフキンは、村田のガードをくぐり抜けるフックやアッパー。嫌なボディを単発でもらっても、それをいなして帳消しにするコンビネーション。
村田のスタミナがここまで早く切れるのは意外だった。
「序盤が鍵になる」と語っていた村田。おそらく、試合前のアップからかなり仕上げて、序盤にすべてをぶつけていたのかもしれない。
村田はスタミナには自信を持っていたはずだ。自分のスタミナが切れたことに、村田自身も驚いたかもしれない。
強敵に向かう時、あるいは相手を必要以上に大きく見すぎた時に、スタミナの消耗は想像よりも早い。
それでも、時折返すコンビネーションにはキレは残っていて、村田がもう一度巻き返す事も可能かと思ったけど、それは違った。
おそらくゴロフキンから村田への怖れは消えていたように思う。

スタミナとともに、村田は「手持ちのカード」も全て出してしまっていて、その事をゴロフキンは感じていたはずだ。
それでも、そこからウィービングでフックを返す動きなど、これまでの村田には無かった動きも見せた。
後半には、ゴロフキンのお株奪うような後頭部へのパンチも見せた。それは用意したものか、試合中に身につけたものか。またしても驚かされる。

気がつけば試合は、我慢比べのようなドロドロの打ち合いになっていた。なんというか「どついたるねん」の世界。
決して最高峰の戦いではないけれど、人が殴り殴られる姿を見ることで、原初の本能のようなものが呼び覚まされる。
そろそろ打ち疲れも見えるゴロフキンと、村田の形勢が逆転するかもしれないと期待した。
でも、時折ふらつく村田の姿にちょっと不安もよぎる。ディフェンス技術の高い村田は、プロの世界でそこまで打たれた事はない。
試合の行方というより、その後の影響が気になった。

そして最後の9ラウンド。村田は勇気を持って前へ出て、それをゴロフキンは打ち返した。
タオルを投げ入れるタイミングは正当だったと思う。もう少し前にレフリーが止めてさえ良かったかと。

試合の中に驚きがあり、変化があり、物語があった。
30分くらいの時間の中で、ゴロフキンは危機を脱出して蘇り、村田はこれまでに見たことがない姿を見せて、そして現在の自分の「強さの底」のようなものを見せた。
それは村田のプロボクサーのキャリアの中で初めての事。ここまで全てを出し尽くして戦った試合は無かっただろう。
それが最後にあって良かった、という考え方もある。
しか、この「豊かな敗北」が、もっとキャリアの前半にあったなら、とも思う。
村田はきっと大事にマッチメークされすぎたのだ。

試合後の村田は笑顔を見せながら、何かを考えているように思えた。
きっとすぐに去就は表明しないのではないか。
時間が経つにつれて、様々な感情が村田諒太を襲うはずだ。
おそらく再戦は望めなく、カネロ戦もありえないだろう。
村田にとっての、現時点でのベストバウトと言える、今日のゴロフキン戦。
「すべてを出し尽くした」ということに嘘はないはずだ。
しかし、おそらく、時間の経過と共に「あそこで、ああすれば」との悔いが襲ってくる。
おそらく、ゴロフキンがしたような前半から中盤にかけてのチェンジオブペースができれば
展開は変わっていたはずだ。

村田諒太は、あの9ラウンドをどう位置付けて、
どんな結論を出すのだろう。
そういう意味では、村田の戦いはまだ終わってはいない。

寒い3月の日

寒い3月の日。
耳まで隠れる帽子をかぶって会社へ向かう。
東京電力からは節電の要請。ちょっと違和感がある。僕らだって東京電力に要請したい事があるよ。
でも、きっと自分の組織だって多くの人には同じように映っているかも。どこか上から目線の組織。

昔、知らない人と呑む事が多かった時、
会社名を伝えると、絡まれたり文句を言われる事があった。そういう時は名前ではなく、社名で呼ばれた。

「おいNHK」「いや、僕は前田です」

いくら年上だからと言って、僕の組織がイマイチだとしても、初対面でそれはないよなと思った。
思いつつ、これはきっと足を踏んでる方は気づかない、いつもの奴なのかなとも思った。

踏まれてる側しか痛みはわからない、的なやつ。
たぶん僕も誰かの足を踏んできた。
そんな時、僕もあんな感じだったのかな、
何か大きなものに立ち向かっているような、
鼻息の荒い顔をしていたのかな。

(正義の側にいると思う時、
 僕らはとても傲慢になる)

寒い3月の日。
耳まで帽子をかぶってAirPods で音楽を聴く。
二重にふさいだ頭の奥で、音楽が鳴っている。マスクで眼鏡が曇る。もっとボリュームを上げる。気持ちが内側に向かい、言葉が生まれてくる。僕はスマホを打つ。

誰かの言葉を思い出す。
「どんなに暗く救いのない表現だとしても、それを作って発表することは、本質的にポジティブな行為だ」

傷ついた経験によって、傷つけたかもしれない自分に気づく。それも何かの連鎖。何かが回ってる。連環する円の中で、エネルギーがたまっていく。

正しいことと、そうでないこと。
僕に責任のあること、そうでないこと。
誰かに責められているような気持ち。
誰かを断罪するベクトル。
原因があり結果があるけれど、結果がまた原因となり、グルグルと回っていく。誰もが何かの結果であり、何かの原因でもある。出口を失った正と負のエネルギーが、よくない感じでたまっていく。

そんなものをすべて、
遠心力で遠くへ飛ばしてしまいたい。
円盤投げか、ハンマー投げのように。
思いが凝縮して、変なエネルギーになる寸前に、
広々としたグラウンドに解き放ちたい。

力をぎゅーっと凝縮して、ばっと空に放つ
重いハンマーは、空へ飛んでいく
僕の言葉は一瞬で形を変えて、空を飛んでいく

君にしか開けない扉がある
その扉を開こう

君にしか開けない扉がある
君と一対一の関係になっている扉

君にしか見えない
君が歩んできた道の先にしかない
そんな扉がある

君が積み重ねてきた努力も
味わってきた痛みも、すべて
その扉と出会い、開く為に必要だった経験値
そんな扉がある
誰にだって

恵まれている事を引け目に思わないで
むしろ、だからこそ自分にこだわって
君が開けた扉から、
新しい風が、世界に吹き込んでいく
きっと

扉を開けたら、もう元には戻れない
そんな怖さもあるけれど、
君にしか開けない扉を開けたら
もう君は、たった一人の君だ

誰とも比較できない
君だけの君だ

さぁ、扉を開こう

遠い理想へ

「NO WAR」と叫んでも戦争は止まらない
もし自分の家族にミサイルが降ってくる時、
それでもあなたは平和主義を唱えるのか
そんな事を言う人がいるし、これからも増えてくるだろう

それはある種の究極の問い
カレー味の、みたいなのと同じ
絶対に答えのない問い 
僕らの敵は、そんな問いを投げかけてくる
自分の国が侵略された時であっても、
平和憲法と共に死ぬのかと

(問いかける方は簡単だ)

そんな言葉で揺らぐほど、僕らの知性はヤワではない
そんな問いは何度も何度も考えた

このままではトロッコで5人死ぬ
分岐点を切り替えれば1人だけが死ぬ
その時、あなたはその分岐点をどちらに切り替えるか

違う、何かが大きく違うんだ
そんな問いには意味がない
僕らの知性は「そんな状況にならない為」に使うもの
そんな状況で自ら苦しい選択をした人もいて、
そんな人たちの苦しみの上に築き上げられたもの

かつて
ナチスの惨状の中で、キリスト教を信じる人は苦しんだ
信じる神は、なぜこの苦しみを放っているのかと
本当に、神はいるのか
この悪が跋扈するなかで、なぜ神は黙っているのかと

それも答えのない問い
でも、その時に彼らは考えた
もし神がいるのなら
(神は絶対にいると彼らは信じる)
今のこの苦しみにもきっと意味があるに違いない、と
それを探そうと、収容所の中で

神を持たない僕は、運命みたいなものと置き換えて
苦しい時には思う 
答えがない問いを前にした時には

つまりこれは「もっと考えろ」という事なのかと
信仰ではない、僕らの思考や哲学をもっと強める為の試練なのかと

答えは、ある