しあさっての方向

本と音楽と酒と詩

リングスと田村潔司の青春

https://youtu.be/Ray8YrwbVOw

 

 

リングスのYOUTUBE見ながら酒呑む夜。
こういう時、インターネット最高って思います。
20代後半の田村潔司、全盛期の輝きが溢れています。

話は変わるのですが、職場とかでたまに誰かが「あれはプロレスみたいなものだから」などとかるーく話す時、その中にある「真剣そうに見えて、出来レースなんだよ」的なニュアンスに、我々古いプロレス/格闘技ファンは、何とも言えない思いを感じる時があります。

(そのニュアンスについて一言言いたい!でも絶対に一言では終わらない)

プロレス=台本がある、結末が決まってる=真剣勝負より劣るもの、ではないんです!(机を叩く)

例えば、僕の好きなリングスという格闘技団体では、「勝敗の決まった試合」もありましたが「勝敗が決まってない試合」もあり、中には「試合直前にガチに変更される試合」もあり、さらに言えば「決まった結末に反して、危険な技を仕掛けてくる選手」もいました。

言ってみれば真剣を使って演劇をするようなもの、それも敵対するもの同士で。

当時の純真な私は、たまに「あれ?」なんて思いながら全部が真剣勝負と信じていました。なぜなら、たまに行われる殺伐とした試合の殺伐さが半端なかったから。

それは職場に置き換えてみたら「ちょっと仲の悪い上司や先輩が、突然参加してきた試写」みたいなもの。ちゃぶ台返しはしないだろうけど、隙を見せたら何をされるかわからない。そんな緊張感のある戦いが当時のプロレスには満ちていました。

だからその戦いは現実世界の僕らの戦いにも似たようなものに思えて、僕らは熱狂したのでした。

(説明終わり)

ふと思い返せば、梶原一騎の時代から僕らは虚実が入り混じる世界が大好きだったんだよなぁという思いに至り、ちょっと現実に立ち返ってため息を落とします。