しあさっての方向

本と音楽と酒と詩

未来の世代

ツイッターで見つけた小出裕章さんの発言 
「未来の世代は、私たちに聞くと思いますよ。あの時お前は何をしていたと」
確かにそうだよなぁとは思う。
でも、こうも思う。

こういった「未来人」的な考え方は、
今の僕たちが、過去の日本人とも未来の日本人とも切り離された
「特別に劣化した世代」という認識から産まれてくるのではないかと。

そうではないのではないか。
僕たちの「今」は、過去の日本人のあり方と無関係ではないし
未来のそれとも切り離されてはいない。

未来の世代は、きっと今の僕たちの世代の「感じ」を
良きにつけ悪きにつけ受け継いでいくのだろうと思う。

それを克服したのなら、この時代のこの「感じ」を十分に理解しているだろうし、
それを克服していないのなら、たぶん今の僕たちを批判することもないのだろう。

勿論、今の世代の自分たちに責任に向き合う事は必要だと思う。
だけど、何か、ひっかかるのです。
その言い方に。

明治維新の日本人と、坂の上の雲の日本人と
戦争に向かった日本人と、高度経済成長のエネルギーあふれた日本人と、
バブルの狂騒に踊った日本人と、原発を止められなかった日本人は
全て同じコインの裏表だと思います。
良いところだけを「日本人の本質」として
外れたところを、「落ちこぼれた日本人」としたって、何も解決しないんじゃないかと。

正義の場所から悪を批判する語り口では
根本的には解決しないんじゃないかと、思うんです。