しあさっての方向

本と音楽と酒と詩

冬眠

毛布にくるまって、ソファに寝転んで、一日何もしない。

冬眠する動物みたいに体温も低くなって、あまりお腹も空かない。

たぶん、本能的に体や心が回転数を落としている。

あるいは鬱なのか、そもそも怠け者だからという説もあるけれど。

 

回転数が落ちて、馴染むようになったこともある。

家族の話に耳を傾けたり、昔の本を開いてその頃の気持ちを辿ったり。

僕は手にしたものを大切にすることなく、次の何かを探し続けてきた。

 

明日、みたいな不確かな約束。

今日を犠牲にし続ければ、いつかやってくると信じていた。

 

急ぎすぎたんだよ。急がされていることに気がついてたのに。

忙しいことを理由にして、置き去りにしてきた。

立ち止まったら負けだと、思い込まされて。

 

電気を消して、ろうそくに火をつけて、それ以上僕は考えない。

生きることに集中しよう。生き延びることじゃなくて。

今、できないことがたくさんあるけれど、

本当にしたいことは何? 本当に会いたい人は誰?

 

この時が過ぎたら、ひとつかふたつのことをしよう。

一生をかけて。

大切な人との時間を、大切に生きていこう。

時間はたっぷりあるから、今はゆっくり考えよう。

損をしているような感覚

 

損をしていような感覚に、とらわれていないか

自分だけが損をしている

正当な評価や対価を得られていない 

そんな考えに囚われていないか

 

努力や苦労が認められず

自分が得るはずのものを、得られなかったとき

あるいは

他の誰かが手にしているように思えるとき

とても損したような気持ちになってしまう

そんなことはある

 

並んだ列に横入りされた時のような、あの感覚

誰かが知っていてくれたら、救われる

自分の気持ちを理解して認めてくれたら大丈夫

結果は同じでも、それだけで全然違う

でもそれって、どういう事だろう

 

同じことがあっても、

満たされなかったり納得できたり

それって何だろう

 

現実ではない空間にあふれる、呪詛の言葉

誰かを引きずり下ろそうとする

誰かの価値を貶めようとする

禍々しいエネルギー 

それは、どこからやってくるのか

 

「なんだかずるい」

私はこんなに頑張っているのに

こんなに我慢して、日々生活しているのに

窮屈なルールに従っているのに

あの人はそうじゃない 

そうじゃないのに、なんだか楽しそう 

だから「許せない」

 

考えを、うまく変えられたらいい

自分の力で自分の考えを

 

「あなたは何も失っていない

 何も損していない

 あなたがしていることが無意味に思えても、

 決して無意味ではない」と

 

誰かがそう言ってくれたら、救われるんだから

自分で自分を救うことだって

きっとできるはず

マントラ

子どもの頃、辛い長距離走とかをしている時に僕はひとつの発見をした。

 

あんなに辛くて永遠に続くように思われた苦しみも、終わってしまえば終わる。


それどころか、終わった後から振り返ると苦しかった時間も、なんだか懐かしい思い出のようにすら感じられる!


それならと、僕は思った。


それなら苦しみのさ中でも、未来から振り返るように考えたら、辛さはちょっとは和らぐのではないかと。


色々な苦しみに見舞われた時に、僕は心でつぶやくようになった。


この苦しみもいつかは終わる。

傷つき何かを失ったとしても、終わりさえすれば、それはそれなりの思い出に変わる。

成長の糧にだってできる、かもしれない。


今、思えばハラスメントの合理化みたいな部分もあるけれど、でも誰にも運命の巡りが悪い時はある。


そんな時は、この酷い時をくぐり抜けた未来の自分になって、今の自分にメッセージを送るんだ。


大丈夫、この時期もいつかは終わる。

君はきっと大丈夫になる。

意外となんとかなったな、なんて

少しだけタフになって、また歩き続ける。


Let it be.

ケセラセラ

Everything gonna be all right.

Don’t worry be happy.


ありとあらゆるポジティブな呪文を総動員して、頑張りましょう。

僕の考え

僕は思った

確か、こんな風に新幹線から車窓を見ながら

僕は自分の気持ちを言おうと思った

どんな形でも

とにかくずっと

言い続けようと思った

 

僕の気持ちや考えは、僕だけのもの

それだけは奪われずに持ち続けようと

僕は思った

 

I think that

my thought is me.

I think that

I will not forget my thought and feeling.

適当な英語だけど

 

I think

大事なのは

my thought

たとえ 他の人にとっては

make no sense

それでも

 

自分の違和感を、自分の言葉で言うこと。恐れずに。

それだって、戦いの一歩

わかったような顔をしてないで!

怒ればよかった

ディレクターとなって初めての打ち合わせのことを覚えている。

頭はいいけれど冷たい人ばかりに思えたその部署で、僕は意見を求められて自分が思っている事を口ごもりながら話した。

 


僕の意見に、何も返ってこなかった。

 


誰も賛同も反論もせずに、何も無かったかのように話し合いは続いた。

 


僕が何を言ったのか覚えていない。

 


期待されているのとは違う、求められているのとは違う感じのことを僕は言ったのだろう。何か頓珍漢なことを言ったのかもしれない。それでも。

 


何だこれは、と僕は思った。

 


戸惑いも怖れも疎外感も無力感も色々と感じて、その打ち合わせでそれ以上僕は発言しなかった。もちろんそれ以上、意見を求められることも。

 


怒り、のようなものを持てるようになったのは、どれくらい後だろう。

半年か1年か、もっと経った後か。

 


それからずっと怒っている。

自分に対しても。

あの時、あの瞬間に僕は怒るべきだった。

不当に扱われたことを。

君だってそうだ。今だってそうだ。

届かないメッセージ

 君に送ったメッセージが 

  半日遅れて 今届いたって

  本当かな そんな事あるのかな

  信じるけれど

 

  もしかして

  もっと前に送った

  僕としては かなり思い切ったメッセージに

  返事がなかったのは

 

  もしかして

  まだ君に 届いてないからかな

 

  きっと そうかな

  そうじゃないかな

引きこもりラジオ

栗原が心を込めて作った「ひきこもりラジオ」の番組を見ながら、丁寧に作られた優しい番組を見ながら、
昔のことを考えていた。
一人きりだった時、繰り返し聞いていた音楽がある。

例えばそれは真島昌利のソロアルバム「夏のぬけがら」
Train Trainの熱狂のさなかに出されたそのアルバムは、当時相当な波紋を呼んだ。

シャウトもなければタテノリもない、童謡のようなシンプルなメロディで淡々と歌うそのアルバムは
しかし、当時僕のような若者の心を激しくとらえた。
ブルーハーツ結成直前、福生の米軍ハウスに引きこもっていたマーシー
甲本ヒロトという盟友と、パンクビートを持たなければ走り出せなかった
ひとりぼっちのマーシーの心がそこには綴られていた。

一番好きなのは「花小金井ブレイクダウン」
それはこんな歌だった。

 洋服着た犬連れて おばさんが歩いていく
 すました顔 厚化粧 おばさんが歩いていく
 洋風を着た犬はどうも好きになれない

 沈丁花の薫る道 紙袋舞い上がり
 タバコ買えば販売機 ありがとうと言ってた
 どうもと答えながら 少し寂しくなった

 タクシー会社の裏で 夏はうずくまっていた
 生ぬるいビール飲んで 春は酔っぱらってた

 オートバイでツーリング 突然空が泣いた
 君も僕もびしょぬれで おたがいを笑ったよ
 次の日のアルバイト ふたりとも休んでいた

 ひどく遠くはなれてる
 ひどく遠くはなれてる

誰かに会いたくて でも離れていく
美しい時もあったかもしれないけれど それはもう終わってしまった

一人きりの時には、一人きりの音楽が聴きたかった
苦しかったけれど、嘘くさいのも嫌だった
「辛いんだよね、わかるよ」そんな風に寄ってくるものは何よりも敵だった

誰かと会いたかったけど、ひとりでもいたかった
自分の持っているものが、自分の力で得たものではないような気がして
すべてを捨て去った先に何が残るか試してみたい気持ちもあった

生産的でないとは知りながら、だからこそという思いもあった
nothing to lose 当時のマントラのような言葉
世間の期待や家族のしがらみや 自分が望んだものではないもの全てを削り落とした先に何があるのか
一緒に、底の方まで沈んでいくような音楽や詩にふれた

同じ頃に聴いていたのは、ニューエストモデルの「底なしの底」

 もう期限切れだろう? このまま風に吹かれたいのさ
 もうやり残しをそのままにして 出かけたいのさ
 ずっと前 何も知らず 壁越しに秘密を聞いた
 
 おー 人ごみの中 特別だった自分がいない
 おー 隣の人も 特別だった自分を探す
 ぐっと手が空をつかみ 引き戻す 誰もいない
 
 もー 手遅れのなのか 誰もか彼もが不自由そうだね
 おー きれいに並んだベットの上で眠る魂
 知っていた そんなことは 知らぬ顔
 知らないふりで 甘えてきただけさ

 神様はいない おまえがそうだろう?
 おまえの中にきっといるんだろう

 弱い順番に死んでいくのなら 
 そろそろ次あたり 俺の番だろう そうだろう?

 あー 丘の上 乾いた風 大樹に背もたれて
 あー 底なしの青空に笑えるはずだろう?
 
 この地面が底なしの泥沼でも泳げるかい?
 底なしの底に何がある その奥には何がある 

きっと僕は余裕のある環境で 余裕のある孤独にひたっていただけなのかもしれない
自分としては苦しかったけど 今の人たちの苦しみに重ねるのは不遜なんだろう

でもそれでも と思う
引きこもりの話を聞くときに、自分自身と重ねて言葉を発しなければ
それは何の意味があるのだと

(引きこもっていた彼の弟に、彼が色々な助けの手を伸ばし、でもそれが逆効果だった話はよかった)

そして、何よりも大切な引きこもりソング。
栗原の番組で流してほしい

真心のサードアルバム「あさっての方向」から
「待ち合わせ」

 厚い雲が低く ぼくの上にたれこみ
 まさかあの上に 青空があるなんて思えない
 家にいるのもあきたよ
 君との待ち合わせ ただ待つ僕さ 

 ぼくはだらだら過ごしてる
 その間君は働く
 だけど日が暮れて会ってみると
 元気なのは君の方さ

 たいくつな毎日 あたま使いすぎ
 生身の君と早く話がしたいよ

 ささいな出来事
 必死になって話せば
 君には伝わるさ
 暗く落ち込んだ気分
 気づかないふりで君は笑ってる
 
 厚い雲が低くぼくの上にたれこみ
 まさかあの上に 青空があるなんて思えない
 家にいるのもあきたよ
 君との待ち合わせ ただ待つ僕さ

ひとりきりの人のための ひとりきりの音楽や言葉
それがあの頃たくさんあった
それは助かった
それはとても励みになった

だから僕は今でも 
ひとりきりの人のために 何かを届けようと思える人生を送れている
ひとりきり ではなく 心ある仲間すら持てるようになって
奇跡的に