一局の将棋
「それも一局の将棋である」
将棋に夢中になっていた中学生の頃、升田幸三とかプロ棋士の観戦記を読むのが好きだった。その中に良く出てきた表現が〈それも一局の将棋〉だった。
次に指す手に2つの選択肢があり、どちらかが正解とは言い切れない状況。
もし違う手を指したら、その先にはもう一つの勝負があった。それはそれで味わいのある勝負が。そんな言葉だ。なぜか心に残った。
自分で人生を選んだことが無いことが、長い間のコンプレックスだった。流されるように生きてきた、とまでは言わないけれど、進学でも就職でも仕事でも、期待される役割と自分の希望との落としどころを探って生きてきた。本質的な衝突は回避して。
選択肢が2つある時に、たとえば道を変えるかそのまま進むかという時に、道を変えたことはほとんど無い。
振り返るといくつかの分岐点があり、僕が選ばなかった道を本当は望んでいたように振り返る時がある。
「それも一局の将棋だった」誰かが僕の人生を振り返って、そう言ってくれたらいい。
その選択も、この選択もありだったと。
あるいは自分で自分にそう言ってあげたい。
そして思う。
中学生の僕は、そんな自分のこれからを予感していたのかと。