しあさっての方向

本と音楽と酒と詩

たかがビール

人に錯覚を起こさせる、商売のやり方がある。
いつからか、それが当たり前になってきた。

はじめにおかしいと思ったのは、発泡酒の売り方だった。

『私にはビールです』と言った俳優もいたが、
名前といい、デザインといい、
明らかに『ビールと間違えて』買わせる、ことを狙っていた。
(今もそうだけど)
僕は、驚いたり、悲しくなったりした。
ビールを作る人が、ビール好きを欺くような事をするのか、と。
なぜ、するのかと。

発泡酒は、どこまで行っても発泡酒だ。
ビールみたいだけど、ビールにはなりえない。
それはそうだ。
違うものなのだから。
うまい発泡酒を作ったり売ったりする努力をしたっていい。
でも、それをビールだと言って売ったら、それは嘘だ。
他の酒におきかえてみれば、他の食品に置き換えて見れば、
それは、すぐにわかる話だ。

では、なぜそんな事をするのか。
どこかで考えるようになったのだ。
たかがビールだろ。とりあえずビールくらいのもんだろ、と。
ならば、安い方がいいでしょ、と。
ビールを愛する人が、ビールを愛する人の為に作った会社が、どこかで変質してしまったのだ。
考え過ぎかな?
でも、そうじゃない。

さらにたちが悪いことに、
それは悪意ではなく、善意から起こっていることだ。
その根本にあるのは、組織の為にという考え方だ。
自分たちが所属する会社を継続させる為に、発展させる為に。
きっと、そういった論理のなかで良心は敗れていったのだ。
「そんな正論にこだわって、会社が潰れたらどうするんだ」
生活とか、家族とか、他の社員の為にとか、営業の苦労を知らないのかとか、そんな言葉も使われたんだろう。
とても、よくわかる、

記事のような広告。ニュースのようなバラエティ。アクセス数をかせぐ為の、刺激的な見出し。
嘘くさいものを、嘘くさいと言えなくなった事から
この社会の劣化は加速し始めた

どんな組織のなかにあっても、
人は、個人個人である事を諦めてはいけない