八月
昔も書いた気がするけれど、僕は戦争に反対の立場。絶対的に。戦場に行きたくないし、行かせたくない。自分も家族も仲間も、誰も。
死にたくないから、ではない。
殺したくないから、だ。
戦争で死ぬことより、戦争で殺す方が地獄だ。
息子が死ぬことよりも、息子が人を殺すことの方が地獄だ。
絶対にそうだ。
生きて帰ったとして、人殺しとして余生を生きることを想像できるか。自分の大切な人が。
「目の前で家族が殺されそうになった時にでも、同じことを言えるのか。それでも平和主義を貫けるのか」
あいつらはよく、そんな事を言う。
(そういう事を言う奴らは、全員敵だ)
その事は何度も考えた。シミュレーションもしてみた。
結論もある。でもそれは言えない。
生き方の問題だから、誰かに示す必要はない。
ただ、大事なことがある。
まだ、戦争は始まっていない。
なら、戦争は回避することができる。
死ぬのも殺すのも嫌だ。
逆に言うならば、それ以外の事は受け入れることができる。
謝ることがなんだ。譲歩することがなんだ。
プライドを傷つけられる事がなんだ。
それで、死ぬことや殺すことから遠ざかれるのであれば、僕は、それを受け入れる。
何を、甘い事を言っているんだ。
だから、相手に付け込まれるんだ。
もはや、そんな段階ではない。
もう、後戻りはできない。
あいつらはよく、そういう事を言う。
(そういう事を言う奴らはみんな敵だ)
いや違う。
そういう敵こそも、理解しよう。
決して肯定はしないが、理解しようとしてみよう。
彼らの正義と信じるものを、背景にある怒りを、原動力かもしれない鬱屈を、競争の中で刻まれた優越感と劣等感を、思うようにいかない日常を、自分の声を聞いてもらえなかった過去を、正解を押し付けられた教室を、支配された経験を、弱者である自分から逃れるかもしれない、攻撃性を。
それはきっと、僕と似ているはずだ。
もしかするとそれは、日本全体とも似ているはずだ。
それを理解して、
自分にできることをしよう。
1991年のNirvana 2019年のビリー・アイリッシュ
心が不安定な時は音楽や文章が入ってくる。
最近はビリー・アイリッシュとレッツゴーズばかり聞いてます。
元ニルヴァーナのデイブが絶賛していた18歳のビリー。
その文章を読んで気になったのかな。
以下、引用。
「....ビリー・アイリッシュを少し前に観に行ったんだ。いやマジで、信じられないくらい最高だったよ。俺の娘達がビリー・アイリッシュに夢中で、彼女の音楽を通して、自己を見出しているんだ。彼女は本当に娘達の心を掴んでいる。
ライブは、Wilternで観たんだけど、彼女と観客とのつながりが、1991年のニルヴァーナと同じだった。観客は全曲一字一句を知っていて、しかも自分達だけの秘密みたいな感じがある。
さらに、彼女の音楽を定義するのって難しい!どんな音楽と呼べばいいのか分からない!だけど本物なんだよ。
だから、俺はそれをロックンロールと呼ぶ。彼女がどんな楽器を使うかは関係ない。
ビリー・アイリッシュみたいな人を観ると、やべえ......ロックロールは全然死んじゃいない、って思える」
すごい、いい文章だと思いませんか。
誰かが誰かをリスペクトする文章を読むと、心のわだかまりが少し解ける気がします。
今年3月にデビューアルバムを出したくらいだから、まだそんなに動画もなく、どれかと言ったらこれかなぁといういうのをコメント欄に載せておきます。
観客との一体感がすごいです。
彼女がジャンプする時、40代後半の気持ちも跳ね上がります。
FIGHT THE POWER
夜中の三ツ目通りを歩きながら考えていた。
今日、起きたこと。そして明日、起きるかもしれないことを。
僕は音楽に、文学に、漫画に、映画に、(つまりアートに)自分自身を揺さぶられるような衝撃を受けてきた。
その中には、自分の未熟さや醜さを突きつけるものもあった。
(ニューエストモデルの「こたつ内紛争」や、茨木のり子の「自分の感受性くらい」や、坂口安吾や吉本隆明や)
目を背けたくなることもあったけど、そんな経験が自分の感性を培った。豊かな経験だった。
色々思うことは、ある。
言葉にできないような思いもよぎる。
でも、気を取り直して。
表現する仕事に関わる者として、思う。
もっと心に届く表現を目指さなければと。
ありきたりな、どこかで見たような、誰がしても同じような表現ばかりでは、誰の心にも届かない。誰の心も動かさない。
そんな仕事があふれていないか。自分も時に、そうじゃないか。
表現が貧しくなり弱っていることも、表現を大切にしない時代の理由の一つじゃないかと。
少なくとも、そう考えれば、僕らにもできることはある。
自分にしかできない仕事をしよう。
心のこもった仕事は、人の心に届く。
数字には、あらわれなくても。
ちょっとでも前に進もう。
誠実さを諦めた奴らに、心を奪われるわけにはいかない。