しあさっての方向

本と音楽と酒と詩

ポピュリスト

ポピュリストの正確な意味はわからないけど、ポピュリストを求めてしまう気持ちはわかる。

それはきっと「清志郎が今、生きていたら」と願う気持ちに似ている。

 


正しいカリスマを求める気持ち。冒険のリスクを誰かに託したい気持ち。安全だとわかったら付いていきたい気持ち。

シングル・マン

「自分1人の力では何も変わらない」

そう感じさせることが、彼らの作戦。

自分を交換可能な部品のように思わせることが。

 

「たった1人の勇気やアイデアで世界は変わる」

 

それは僕らが音楽やスポーツから受け取ってきた一番のメッセージ。

 

かけがえの無い個人ONEの価値を自分が信じられるか。そこから始まる。

 

道オブ マイン

何をしていても、違う何かがしたくなる
どこにいても、違うどこかにいきたくなる
誰といても、違う誰かに会いたくなる
何を飲んでいても、何を読んでいても、何を書いていても

 

もう人生も半分くらい
たぶん、どこにもたどりつかない
たぶん、何も成し遂げない

たぶん誰にも。たぶん、たぶん

 

なんだかさびしそうな道
かなり情けない感じ
でもそれなりに、それなりに
自分っぽい道

海賊王に

自由であることを諦めた人たちが、自由であることを諦めていない人を叩く。

 

彼らを叩き返しても仕方ない。

 

自由であることは可能だということ、自由であろうとすることの素晴らしさを伝えないと。

我慢

頑張ることも、我慢することも大事だけれど
もう ずいぶん頑張った気がするんだ

頑張って、我慢して、何をしたかった?
頑張って、我慢して、どうなりたかった?

我慢しすぎると、忘れてしまうよ
何もかも

諦めることに慣れて
そこそこに慣れて
そうでない人に 苛立ったりして
だから

酒を吞もう 旅をしよう 音楽を聴こう
心を揺さぶろう

泣こう 笑おう 怒ろう
会いたい人に会おう
心の声を聞いて

何もかも
忘れてしまう前に

(今年最後の四文屋で)

さよなら4月

平成が始まった年に、僕は高校2年生でした。
井上陽水のCMが叩かれたのが、平成の始まりの出来事で、
平成はつまり「自粛の時代」だったって誰かが言ってたけれど、本当にそう思います。

その時代の最後に、石野卓球がひとりで風穴を開けた意味はとてつもなく大きいと思っていて、
きっと自分の感性を信じて勇気を持って戦う時代が始まる、
というか続いていくのだと。

酒を呑み始めたのも平成の時代でした。

一気呑みばかりしていた時もあったし、一番搾りが流行ったり、モルツモルツと歌っていた時もありました。
夏子の酒」の知識だけで吟醸酒を語ったり、
プレミアム焼酎を有り難がったり、騙されたり。

ボジョレヌーボーには1ミリもなびかなかったけど、
ハイボールはお好きでしたし、ホッピーは今でも大好きです。

そして、最後の晩餐ならぬ、最後の一杯は
(いや何杯かはわからないけど)
「いも麹 芋」
鹿児島の小さな酒造のこだわりの杜氏が、
100%芋だけで作ったこだわりの焼酎です。
(芋の麹って、ほとんど無いんです)

時代が変わることを年号に託すのは、どうかと思うけど、
(平成にありがとう、もどうかな)
節目の時に自身を見つめ直すのは、悪くはない気もします。

大きな物語に対置されるべき、小さな個別の物語。
それを
大きな会社の中で、どれだけ実現できるか。
誰とも比較せず、できるだけ朗らかに。

そんなことを考えて終わる平成です。