しあさっての方向

本と音楽と酒と詩

「ONE TEAM」異論

騒がしかった2019年の終わりに、思うことがある。
的外れかもしれないけれど、書いておきたいことがある。

スポーツから感動を受け取ることはいい。
スポーツから勇気を受け取ることはいい。
ひとつの目的に向かって一丸となる美しさを受け取ることもいい。

ただ、ちょっと思う。
今、僕らが現実社会で向き合っているものは、もう少し複雑な問題。言ってみれば「目的の喪失」だ。
スポーツチームのような、シンプルな目的/価値観を今の僕らの社会は共有していない。
社会も会社も部署も個人もテレビも何を目指せばいいのか、わからなくなっている。
何を頑張ればいいのか。本当に頑張った先に幸せがあるのか。そんな混乱の中に僕らはいる。

だからこそスポーツが輝くのではあるけれど、
だからこそ、ある種の危険もそこにはあるように思う。
そこに目を向けずに、ただ「ひとつになること」だけを受け取るのは危険だ。

「一丸となって」良くない方向に向かうこともある。
「一丸となって」一丸にならない人を排除することもある。

スポーツは、シンプルだ。
勝利という、揺らぎのない価値と目標がそこにある。だから夢中になれるし盛り上がる。
弱者とされてきたものが、努力と戦略と団結で強者を打ち破る。日本。
圧倒的な興奮とカタルシスがあの戦いにはあった。でも、それでも立ち止まろう。

「なぜ私たちは、あれほどまでに熱狂したのか」
ままならない社会と組織と個人の今を、ひととき彼らが打ち破ってくれたからではないのか。
シンプルな目的を共有したチームが、努力を重ねた末に勝利を勝ち取るという美しい物語。
その物語に酔う瞬間を渇望していたからではないのか。

スポーツに感動するのはいい。勇気をもらって頑張るのはいい。
でもスポーツの組織論や行動論を、そのまま社会や組織に情緒的にスライドさせることには、慎重にならなければいけない。
スポーツは戦いであり、スポーツの組織論は戦いの論理。もっと言えば戦争の組織論でもあるからだ。

ONE TEAM
本当は多義的で奥深い言葉だと思う。でも、今流通してるONE TEAMには、かつての「絆」のような一体化の強制の匂いがする。
僕らは、人生においてそれぞれに違うゴールに向かっている。もしかしたら種目や競技すらも違っているかもしれない。同じ会社にいたとしても。
その複雑さから僕らは逃れられないし、目を背けるべきではない。

共有できるとすれば、フェアプレイと相手へのRESPECT。
それは、あのチームの戦いからもたくさん受け取った。
そういった「良きもの」を共有した上で、それぞれの目的に向かっていくゆるやかなTEAM であればいい。

言わずもがなのことをつらつらと書いてしまった気もする。ブームに乗り遅れた人の僻みかもしれないけれど(たぶん正解だ)。

来年は、もっとこういう事が言いにくくなりそうな気がするので、書いておく