20190926. 今日が分水嶺
映画でよく見るよね。
戦前や戦中にタイムスリップして、戦争や特攻隊に向かう人を止めようとして止められないやつ。
主人公が必死に訴えても、皆のん気で信じてもらえないやつ。
それが今だよ。
どうするんだ。
クロ現「是枝裕和✖️ケン・ローチ」
「ケン・ローチって知ってる?
映画監督なんだけど、すごくいいんだよ。
あんま明るい話は少ないし、
何ならいつもバッドエンドなんだけど
不思議と悪い気持ちはしないんだ。
悲惨な話でも、見終わった後はなんだかエモーショナルな気持ちになるんだよ
なんか、昔のNHKのドキュメンタリーみたいに」
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そんな事を言って、何人もの人にDVDを無理やり貸して
返ってこなくて、もう一度買ってまた貸して。
そんなことを10年以上続けてきた。
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尊敬する人の存在や作品を、知ってもらいたい。
その媒介になるような仕事をしたい。
そんな風に考えてきた。
僕には、その人のような作品は作れないし(残念だけど)
その人のようにも、生きられないけれど(残念だな)
その人の良さや凄さは、僕が一番知っている。
僕が一番うまく、その良さを伝えられる。
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ニュースウオッチ9ではよく亡くなった人のニュースを作った。
西城秀樹や衣笠、平尾誠二、ホーキンス博士や日野原先生も。
素敵な人の素敵な人生。
本当は少し忘れていたけれどそれは置いておいて、関係者を探して、印象的なエピソードを大急ぎで集めて、名言を選んで、その日の夜にお届けする。褒めて、悲しんで、勇気をもらって。
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そんな仕事を楽しみながら、でも違和感もあった。
本当はそれじゃダメなんだ。死んでからじゃ遅いんだ。
清志郎も、茨木のり子も、ナンシー関も。
「あの人が生きていたら」なんて、遠い目で語っても何も変わらない。閉店セールに押しかけたり、解散コンサートに群がったりするのと同じ。
それじゃ全然ダメなんだ。
生きているうちに褒めないと。
生きているうちに伝えないと。
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「わたしは、ダニエル・ブレイク」見た?
「エリックを探して」は? 初期の名作「ケス」もいいよ。
一番好きなのは「明日へのチケット」の短編だね。
なけなしのバイトの金でサッカーを見に行く若者が、移民の子どもに電車のチケットを盗まれて、許してあげたいけど、自分たちが捕まったら大事な試合を見れなくなってしまうから、仲間内で悩んで喧嘩して、最後に選んだ行動が、本当に最高なんだよ!
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多くの人にケン・ローチを知ってもらいたい。
その素晴らしい映画と、反骨の人生を知ってもらいたい。
そんな番組をいつか作りたいと積み重ねてきて、おっかない先輩や優しい後輩が助けてくれて、もう少しで放送です。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4325/index.html?1567747116
ちょっと目をつむって
絆を保つためには 絆を信じることが必要だ
絆を試そうとした時から 絆は失われていく
試したり 比べたりすることで 失われるものがある
ある程度 自分の感性を磨いたのなら
あとは盲目に信じてみるのも ひとつのやり方だ
直感を信じる 信じ続ける事は
意思がなくてはできないことだ
八月
昔も書いた気がするけれど、僕は戦争に反対の立場。絶対的に。戦場に行きたくないし、行かせたくない。自分も家族も仲間も、誰も。
死にたくないから、ではない。
殺したくないから、だ。
戦争で死ぬことより、戦争で殺す方が地獄だ。
息子が死ぬことよりも、息子が人を殺すことの方が地獄だ。
絶対にそうだ。
生きて帰ったとして、人殺しとして余生を生きることを想像できるか。自分の大切な人が。
「目の前で家族が殺されそうになった時にでも、同じことを言えるのか。それでも平和主義を貫けるのか」
あいつらはよく、そんな事を言う。
(そういう事を言う奴らは、全員敵だ)
その事は何度も考えた。シミュレーションもしてみた。
結論もある。でもそれは言えない。
生き方の問題だから、誰かに示す必要はない。
ただ、大事なことがある。
まだ、戦争は始まっていない。
なら、戦争は回避することができる。
死ぬのも殺すのも嫌だ。
逆に言うならば、それ以外の事は受け入れることができる。
謝ることがなんだ。譲歩することがなんだ。
プライドを傷つけられる事がなんだ。
それで、死ぬことや殺すことから遠ざかれるのであれば、僕は、それを受け入れる。
何を、甘い事を言っているんだ。
だから、相手に付け込まれるんだ。
もはや、そんな段階ではない。
もう、後戻りはできない。
あいつらはよく、そういう事を言う。
(そういう事を言う奴らはみんな敵だ)
いや違う。
そういう敵こそも、理解しよう。
決して肯定はしないが、理解しようとしてみよう。
彼らの正義と信じるものを、背景にある怒りを、原動力かもしれない鬱屈を、競争の中で刻まれた優越感と劣等感を、思うようにいかない日常を、自分の声を聞いてもらえなかった過去を、正解を押し付けられた教室を、支配された経験を、弱者である自分から逃れるかもしれない、攻撃性を。
それはきっと、僕と似ているはずだ。
もしかするとそれは、日本全体とも似ているはずだ。
それを理解して、
自分にできることをしよう。