しあさっての方向

本と音楽と酒と詩

クロ現「是枝裕和✖️ケン・ローチ」

ケン・ローチって知ってる? 
 映画監督なんだけど、すごくいいんだよ。
 あんま明るい話は少ないし、
 何ならいつもバッドエンドなんだけど
 不思議と悪い気持ちはしないんだ。
 悲惨な話でも、見終わった後はなんだかエモーショナルな気持ちになるんだよ
 なんか、昔のNHKのドキュメンタリーみたいに」
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そんな事を言って、何人もの人にDVDを無理やり貸して
返ってこなくて、もう一度買ってまた貸して。
そんなことを10年以上続けてきた。
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尊敬する人の存在や作品を、知ってもらいたい。
その媒介になるような仕事をしたい。
そんな風に考えてきた。
僕には、その人のような作品は作れないし(残念だけど)
その人のようにも、生きられないけれど(残念だな)
その人の良さや凄さは、僕が一番知っている。
僕が一番うまく、その良さを伝えられる。
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ニュースウオッチ9ではよく亡くなった人のニュースを作った。
西城秀樹や衣笠、平尾誠二、ホーキンス博士や日野原先生も。
素敵な人の素敵な人生。
本当は少し忘れていたけれどそれは置いておいて、関係者を探して、印象的なエピソードを大急ぎで集めて、名言を選んで、その日の夜にお届けする。褒めて、悲しんで、勇気をもらって。
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そんな仕事を楽しみながら、でも違和感もあった。
本当はそれじゃダメなんだ。死んでからじゃ遅いんだ。
清志郎も、茨木のり子も、ナンシー関も。
「あの人が生きていたら」なんて、遠い目で語っても何も変わらない。閉店セールに押しかけたり、解散コンサートに群がったりするのと同じ。
それじゃ全然ダメなんだ。
生きているうちに褒めないと。
生きているうちに伝えないと。
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わたしは、ダニエル・ブレイク」見た?
エリックを探して」は? 初期の名作「ケス」もいいよ。
一番好きなのは「明日へのチケット」の短編だね。
なけなしのバイトの金でサッカーを見に行く若者が、移民の子どもに電車のチケットを盗まれて、許してあげたいけど、自分たちが捕まったら大事な試合を見れなくなってしまうから、仲間内で悩んで喧嘩して、最後に選んだ行動が、本当に最高なんだよ!
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多くの人にケン・ローチを知ってもらいたい。
その素晴らしい映画と、反骨の人生を知ってもらいたい。
そんな番組をいつか作りたいと積み重ねてきて、おっかない先輩や優しい後輩が助けてくれて、もう少しで放送です。

 

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4325/index.html?1567747116

 

 

ちょっと目をつむって

絆を保つためには 絆を信じることが必要だ
絆を試そうとした時から 絆は失われていく

 

試したり 比べたりすることで 失われるものがある

 

ある程度 自分の感性を磨いたのなら
あとは盲目に信じてみるのも ひとつのやり方だ

 

直感を信じる 信じ続ける事は
意思がなくてはできないことだ

ままならない心

なんでこんなに腹が立つのか

なんでこんなにイライラするのか

なんで寛容になれる時と

そうでない時があるのか

 


空腹も関係ある

天候も関係ある

体調も関係ある

もちろん自分の性格や

でも、それだけじゃない

 


なんで必要のない劣等感を感じてしまうのか

なんで自分と誰かを比べてしまうのか

なんで自分の家族の幸せを願うように

他人の幸せを願えないのか

 


自分の心の動きに、その理由もわからずに

振り回されている

八月

昔も書いた気がするけれど、僕は戦争に反対の立場。絶対的に。戦場に行きたくないし、行かせたくない。自分も家族も仲間も、誰も。

 

死にたくないから、ではない。

殺したくないから、だ。

 


戦争で死ぬことより、戦争で殺す方が地獄だ。

息子が死ぬことよりも、息子が人を殺すことの方が地獄だ。

絶対にそうだ。

生きて帰ったとして、人殺しとして余生を生きることを想像できるか。自分の大切な人が。

 


「目の前で家族が殺されそうになった時にでも、同じことを言えるのか。それでも平和主義を貫けるのか」

 


あいつらはよく、そんな事を言う。

(そういう事を言う奴らは、全員敵だ)

その事は何度も考えた。シミュレーションもしてみた。

結論もある。でもそれは言えない。

生き方の問題だから、誰かに示す必要はない。

 


ただ、大事なことがある。

まだ、戦争は始まっていない。

なら、戦争は回避することができる。

死ぬのも殺すのも嫌だ。

逆に言うならば、それ以外の事は受け入れることができる。

 


謝ることがなんだ。譲歩することがなんだ。

プライドを傷つけられる事がなんだ。

それで、死ぬことや殺すことから遠ざかれるのであれば、僕は、それを受け入れる。

 


何を、甘い事を言っているんだ。

だから、相手に付け込まれるんだ。

もはや、そんな段階ではない。

もう、後戻りはできない。

あいつらはよく、そういう事を言う。

(そういう事を言う奴らはみんな敵だ)

 


いや違う。

そういう敵こそも、理解しよう。

決して肯定はしないが、理解しようとしてみよう。

 


彼らの正義と信じるものを、背景にある怒りを、原動力かもしれない鬱屈を、競争の中で刻まれた優越感と劣等感を、思うようにいかない日常を、自分の声を聞いてもらえなかった過去を、正解を押し付けられた教室を、支配された経験を、弱者である自分から逃れるかもしれない、攻撃性を。

 

 

 

それはきっと、僕と似ているはずだ。

もしかするとそれは、日本全体とも似ているはずだ。

それを理解して、

自分にできることをしよう。

離人症

お祭りが苦手  集団が苦手   

団体競技も全然ダメ

 


人が集まると集団ができて

ルールができて序列ができる

集団の力学が生まれる前に

距離をおきたくなる

 


近づきたい気持ちと

離れたい気持ちがいつも心の中にあって

大体、離れていく気持ちが勝って

大切な人や

大切なことから

距離をおいて

何かを逃して来たような気もする

(本当は呼びとめてほしかった)

 


水くさく 面倒くさい自分のこんな感じ

いつか 肯定できたらいいんだけど

映画「お料理帖」

一昨日見たのは韓国映画「お料理帖」の試写会。
とっても良かった!

反目する親子の和解の物語。
互いの過去や感情を理解して受容すること。
それは困難だけど、どれだけ豊かであるかが、
丁寧に描かれている。

相手の過去を知り、相手の立場に身を置いて考えてみること。大事ですよね。

(料理はどれも美味しそうで、新大久保か鶴橋に行きたくなりました)f:id:tatsuyoung:20190809101533j:imagef:id:tatsuyoung:20190809101533j:imagef:id:tatsuyoung:20190809101533j:image