しあさっての方向

本と音楽と酒と詩

カズのゴールを見逃した

東北地方太平洋沖地震から2週間以上経ったけど
募金以上の事は、出来ていないなぁ。
自分の無力感というか、
気持ちの弱さに若干へこみます。




大好きなカメラマンの近藤篤さんが、
自分のHPで、ユニークな取り組みを始めました。


http://atsushikondo.com/notes/


自分の作品のプリントを「無料」で提供し、それを受け取った人は
近藤さんの作品に見合う金額を、自分で自由に決め、
その額を自分の決めた所(赤十字など)に寄付する
そんな取り組みです。









受け手への大胆な信頼に基づいたこのシステム。
ロックバンドのRADIOHEADが以前、
ダウンロードした人が自由に価格を決める「自由価格販売」という方法でアルバムをリリースしましたが
それに通じる画期的な取り組み、だと思いました。



そして
僕は考えてしまったのです。
もし、自分が近藤さんの写真を申し込むとして
近藤さんの写真をいくらと決め、いくらを寄付するのだろう、と。


それは2つの問題です。


一つは
「芸術の値段ってどう付けたらいいの?」  
という問題。
そしてもう一つは
「僕は、どれくらいの金額を震災の為に寄付するべきなの?」
という問題です




宇多田ヒカルが8000万円
イチローが1億円
久米宏が2億円
ユニクロ社長が10億円
とかなんとか
寄付に関するニュースを見ている時に、いつも感じていた事でもあります。


無意識に、その金額を比較したり
「あいつ、少ないな」とか勝手に思っていた自分。
なら
僕は、どれくらいの金額の寄付が妥当なのか。




僕は
「何かをせずにいられない」っていう感情より
「何かをしないといけないんじゃないか」っていう義務感のような心の動きが
自分の中にたくさんある事に、
何か後ろめたさを感じる時があります。
それが
自分はどれくらい寄付を「するべきなのか」という考えにつながっていくのです。



金の額じゃないって考え方もあると思います。
でも
やっぱり、自分の身をどれくらい切れるのかってのは
自分の切実度とリンクしているような気がします。
でも
そんな事を考えている時点で、もうダメなような気がするし・・・・



(すいません、今日はグダグダです)



そしてもう一つの問題。


僕が、大好きな近藤さんの写真を手に入れる為に、
どれくらいの金額を出せるのかという事にも通じる問いです。


安いにこした事は無い。
でも
それは自分の「好き」という思いも安く見積もる事になる。


本当は
そんなに好きじゃないんじゃないの?
あったらいいけど、無くてもそれでもいい。
それくらいの「好き」なんじゃないの?
そう問われているような気がするのです。


つまるところは
このシステム自体が震災支援活動であると同時に、
受け手への一つの問いかけであり、一つの表現なんでしょう。


考えろ、そして悩め、と。



震災について
そして、震災と自分の関係性について
そして自分自身の、今について



そう
言われてる気がするのです。


そして僕はまんまと悩んでいます。


僕が今、すべき事って何だろう。
僕にしかできない事って何だろう。
そして
僕は、何をどれくらい大切に思っているのだろう。



初動のタイミングは逃してしまったので
しつこく考え続けようと、思います。