しあさっての方向

本と音楽と酒と詩

冷血

うすうす気付いてはいたけれど、目を背けてきた自分の姿を突きつけられる時がある。

そんな時は、どうすればいい?


たとえば僕は、優しそうだけど本当はちっとも優しくなんかない。

正確に言えば、少し離れたところにいる人には優しく振る舞えるけど、本当は自分以外にあまり関心はない冷たい人間だ。


そんな自分を突きつけられるような出来事が久しぶりにあって

 

そんな時は、どうすればいい?

盛り上がらない

「盛り上げる」という言葉に違和感を感じることがある。
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ラグビーを盛り上げる
五輪を盛り上げる
パラを盛り上げる
別に悪い事では無いし、むしろ積極的に取り組むべきことなのかもしれないけれど。
「盛り上げる」その言葉に、どこか引っかかる時もある。
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「盛り上げに不都合な事実には、目を向けなくていい」
あるいは
「皆で、盛り上げようとしてるのに、マイナスな事を言うのはどうなの?」
そんな空気もまとっている、ような気がするから、かな。
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(ただひねくれてるだけもしれないけれど)
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何で盛り上げなくちゃいけないんだろう。
すでに勝ち始めているものは、他に任せておけばいいんじゃないか。
僕らはもっと、マイナーなものを応援するためにここにいるんじゃないか。
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(もちろん頑張っている人を否定するものじゃないけれど)
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お祭りは苦手。お祭りが好きな人も苦手。
酒は好きだけど大人数の飲み会は苦手。
集団が苦手。集団の論理も苦手。
静かに生きていたい。
適度に、距離を置いて。
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何かに加担すると、少しずつ自分は失われる。
自分を失うことで、弱くなる人もいるし、
大きな集団(の論理)に身をまかせることで、逆に強くなる人もいる。
何か言いたかったのに、言えなくなる人がいる。
何も言いたいことがない人が、力強くど真ん中を歩いたりする。

偉そうなのはウソだ。
堅苦しいのはウソだ。
威圧的なのはウソだ。
ある状況でうまくいっている奴は、
その状況に最適化されているに過ぎない。
コネクションを誇って、
特命を帯びたような顔をして、
事情にだけは妙に詳しくて、
自分が何をしているかもわかっていない。
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日本のスポーツ報道に批判的、批評的なものが少ないのはなぜか。
それは第三者ではなく、当事者であるからだ。
新聞社が野球チームを持ち、放送局が相撲を支える。
オリンピックもパラリンピックも僕らは利害関係者だ。
本質的な批判や表現なんてできるわけがない。
(音楽もそうだ。音楽雑誌がフェスを主催したらダメだ)
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巨大な組織が巨大な力で目指すのが、自らの組織の将来に向けての存続?
それは全くナンセンスだ。
(そもそも僕らは公共的な存在であるはずなのに)
組織の中の個人。
個人的な組織人。
組織にある種の感謝の念も持ちながら、
でも恩ある組織のためにこそ、僕らは自分自身の感覚を大事にすべきではないかと思う。
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ちょっと極端な意見かもしれないけれど、
なんの結論もないけれど、
全てがグダグダになっていく世の中で、
思ったことは言ってみた方がいいかなぁなんて思う、午前2時。

点ではなく

ある一点で人を判断してしまう、ことがある
もしかしたらその人のもっとも良くない部分があらわれた、行動や言動
その一点で人を断罪してしまう、ことがある

どんなきれいごとを言ってても本音はあれなんだ
ああいうことをしてしまうあれこそが、あの人の本質なんだと

その人のそれまではすべて失われてしまった、かのように
その人に与えてきたすべての評価は偽りのものだった、かのように
騙された、そんな言葉さえ口にして

そんなこと言ったら、自分はどうだ
自分を、自分のもっとも酷い行動や言葉で、判断されたら
すくなくとも僕は、生きていけない
誰にも知られたくないあれこれ、だけではないことが、僕にはある

たとえば人を点ではなく、幅としてとらえてみたらと思う
良いところから悪いところまでの、幅を持った存在
そのてっぺんもどん底もその人だという風に、とらえてみたらと

幅だけじゃなく本当は、奥行きもあるかもしれない
過去から今そして未来へと、変わってゆく形
良い部分とそうでない部分、そのブレンドの具合も
昔とは変わっていってるかもしれない

人のいくつかの点に出会ったら
その人の矛盾を思うのではなく
その点を自分なりにつなげてみたら、どうだろう
いま見えているものとは違ったその人のかたちが
浮かび上がるかもしれない 

星座のように

酒の旅

誰かに会いたくて ひとりで酒を飲む男

どこかに行きたくて ここでひとりで飲む男

 

ビールを飲んで 僕は旅に出る

陽気な自分がいる国へ

たくさんの自分が

それぞれ勝手に

胴上げしたり 胴上げされたり

サンバを踊ったり マンボを踊ったり

陽気な自分ばっかりの国

そんなかで僕は

ビールを飲んでニコニコ笑ってる

 

 

時間が経つと僕は

日本酒を飲んで また違う旅に出る

日本酒を飲んで僕は

内側へ通じる扉を開ける

進化論の道を逆にたどって

ありえたかも知れない人生を体験してみる

あの道を左に行ったなら 今頃

僕は 魚だったかも知れないし

君の 友達だったかも知れない

甲子園以上のトーナメントを勝ち抜いた結果

この

ろくでなしなのである

 

 

酔っぱらってますか?

(酔っぱらってますとも)

楽しんでますか?

(楽しんでますとも!!)

 

 

いい感じになって僕は

焼酎をオレンジジュースで割って旅に出る

たくさんの焼酎を ちょっとのジュースで割って

わて 旅にでますねん

地図からいなくなる旅へ

誰でもなくなる旅へ

何もいらなくなる旅へ

 

ふわふわしながら

僕は答を見つけたよ

ふらふら歩きながら 僕は

何か答えを見つけたよ

ああ そっか そういうことだったんだって

すーっと軽くなったんだ 

真理なんかじゃなくって

言葉ですら無い

だけど

なんで忘れてたんだろう

なんで忘れてたんだろう

 

すーっと軽くなって 僕は

すとんと眠ったんだ

ビールも 日本酒も 焼酎も 

全部そのままで

グラスも 氷も 柿ピーも オレンジジュースも

全部そのままで

 

壁と卵焼き

誰だって、魂の暗がりに陥ることはある。

思い出したくないほどに、ひどいことをしてしまったり
人を傷つけてしまった経験は誰にもあるはずだ。

誰かを断罪できるほど、誰も立派じゃない。
だから法があり、罰があるのだ。
厳密なルールに基づいて。

「あいつは、あんなにひどいことをしたのだから、これくらいバッシングされても当然だ」

その罪と罰を、自分と「みんな」の感覚で決めることが
どれほど危険なことなのか、と僕は思う。


 「ドラマやCM降板くらいは、当然だよね」
 「芸能界に戻れなくても、しょうがないんじゃない?」
 「いい人キャラで売ってたんだから、自業自得だよ」

正義感にかられて、誰かを叩きたくなったら
キャパが撮った「丸刈りにされた女たち」を見ればいい。
ナチスに協力した女性を、戦後あざ笑うフランスの人たちの姿を写した写真を。

(正義をまとった時に、人は極限まで残酷になれる)

それは自分だったかもしれない。
もし不幸な条件が重なれば。

そう考える必要もないほど、正義の側に自分がいるのだと
本当に思えるのであれば、それでもいいけれど。

48

気が付けば、弱さを磨いてきたような人生。
強くてオラオラするよりも、弱くてクヨクヨしてる方がいいと感じながら。
その感じを証明したい気持ちもあるけれど、そこにも罠があるような気もする。

比べる/比べられるから、できるだけ距離を取りたい。
自分の尺度で納得できるだけ頑張りたい。無限に頑張るのは無理。
本当は、しなやかさだけが目標で、それは目指すものじゃなくて、取り戻すもののような気がする。
みな最初に持っていた、自然な状態の自分を。