しあさっての方向

本と音楽と酒と詩

サラ

弾けるような笑顔で歩み寄り、その女性は腕を広げた。ローマの大通り、去年の3月。僕は彼女とハグをした。普段は見知らぬ人と、いや知ってる人とだってハグなんかしないけど、海外旅行の開放感もあったのかもしれない。大学生くらいの細身の女性。
My name is Sarah と綺麗な英語で言った。

何か署名活動をしているようだから、サインペンで名前を書いた。名前の横には数字を書く欄があった。僕は年齢を書いて、「これでいい?」とサラを見た。サラは嬉しそうだった。

立ち去ろうとする僕にサラは首を振って言う。「この数字は寄付金よ。お願いね」と。たぶんそんなような事を、変わらぬ笑顔で。恵まれない人の為にサラは活動しているみたい。でも、48ユーロは出せないよ、サラ。
僕は、ごめんごめんと日本語で言いながら、家族の元に戻る。何にやけてんのよ、と不信気な家族の元に。

その日の夜、ホテルで地球の歩き方を見ていると、それはイタリアで有名な旅行者をカモにする手口だと書いてある。
僕は落胆し、家族は大笑い。

あれから1年。
イタリアのコロナのニュースが流れると、わざとらしく息子が言う。「サラは元気かな〜」

大きく腕を広げて小走りに近づいてくるサラ。キャメロン・ディアスのように抜けのいい笑顔を思い出す。
サラは元気かな。もう旅行者もいないだろうけど。