しあさっての方向

本と音楽と酒と詩

先輩はもういない

大好きな先輩がいた。お酒が好きで本が好きで映画が好きで、とても影響を受けた。
でもいつからか距離を置くようになった。
たとえばそれは、先輩に繰り返し聞かれることなんかがきっかけだった。
「前田、あの映画見た?」
「前田、あの番組見た?」
「前田、あの本読んだ?」
先輩は好みが似ている僕が、きっとその本を読み映画を見ただろうと思って聞く。
でも無精な僕はたいてい読んでない、見ていない。
「すみません、気にはなっているんですけど」
先輩は感情を隠さないから、あからさまにがっかりした表情になる。僕も申し訳ない気持ちになる。そんなことが何度か繰り返されて、窮屈になっていった。

僕は先輩に答えたかった。
「もちろん見ましたよ、最高でしたね。あのシーン」
先輩の期待に応えたい。でも僕には僕のペースもある。映画館とか、結構面倒くさいんだ。

先輩の部屋で番組の構成を考えた。
襖にポストイットを並べた。
ロケでの数々の逸話を聞いた。
古いマッキントッシュfilemakerに記した読書録を見せてもらった。
お酒の飲み方を真似て、無頼を気取って、
先輩みたいになりたかった。
僕が憧れた先輩はあの先輩だけだった。
でも僕は距離を置いた。その熱量に耐えられなかった。

部署が変わって離れる前に先輩は話しかけてきた。局の前の横断歩道で。
「もうお前と仕事することもないだろうから、言っておくけどさ」
その時信号が変わって、その話はそれまでになった。
先輩は何を言おうとしたんだろう。そのあとずっと考えている。

面倒くさがって、
たくさんの出会いや成長の機会を逃してきた。
大切なものが通り過ぎていくのをそのままにしてきた。

先輩からずっと借りたままになっている本が本棚にある。
僕はまだその本を読んでいない。
もう返すことはできないけれど。