しあさっての方向

本と音楽と酒と詩

火曜日

火曜日はボランテイアの日。朝9時に浅草橋の事務所からハイエースに乗って寄付される食べ物を集荷する。小雨まじりの首都高、あちこちで事故や渋滞が起きている。大きな車の運転はまだ慣れない。知らないうちに速度が落ちていて、車の流れを淀ませてしまう。

川崎の大型スーパーで集荷ケースいっぱいのあんパンやカレーパンを積んで、青海の倉庫でバナナの段ボールを積む。バナナは重くて大変だけど、倉庫をさばく青年は親切でフォークリフトを手配してくれる。3時間くらいで浅草橋に戻って酸辣湯麺を食べて、Facebookにアップする。パラパラといいねがつくのを何度も確認する。50近いのに承認欲求にとらわれているのも滑稽だ。僕はもっと褒められたいんだろう。

受け取りの伝票を届け忘れたことに気付いて事務所に戻り、喫茶店真藤順丈の「宝島」を読む。船戸与一のように分厚い、船戸与一のような抵抗の物語。沖縄の人たちの厳しくも生き生きとした戦後の物語を第2部まで読み進める。iPhoneで聞くのは、韓国のイ・ラン。いい文章を書くアーティスト。月末にライブを行う予定だったけど、来日できなくなった。音符のようにリズムよく跳ねる韓国語を聴きながら、文章を打つ。例えばこんな文章を打っては消す。

<昨日の夜、内閣支持率のニュースを見て僕は動揺した>

150円でコーヒーをおかわりして「宝島」の第3部を読み始める。音楽はお経のようなラナ・デル・レイ。沖縄の主人公たちの願いは何一つ叶わない。世の中や自分の組織が間違った方向に進んでいると感じてしまう時、何をすべきなんだろうか。雨足が強くなる。何だかイライラした気持ちが消えない。考えてるだけじゃダメだ。考える前に行動しないと、そんな考えもある。今は文句を言わずに一つにまとまろうと言う人もいる。僕らはもっと一人一人になるべきだと思う。でも一人一人の声はあまりにも小さい。やはり組織は必要だ。考えは同じところをぐるぐると回る。

22時近くなると感染者のニュースが増える。もうすぐ今日のニュースは昨日のニュースになる。そんなタイミングを狙ったわけじゃないだろうけど。僕はネパール居酒屋でラッシーを焼酎で割った何かを飲んでいる。

「宝島」を読み終わる。自分の気持ちが、物語につられていつも以上に浮遊していたことに気づく。大切なものを失ったとしても、それでも大きなつながりの中にある。痛みと、痛みから癒えていく感覚と、それでも消えない悲しみや怒りと、それと共に生きていく覚悟を伝える物語。この国に無数の豊かな物語があり、今日も生み出され、それが届いている事が一番の希望のように思う。

明日は仕事の1日。打ち合わせの多い水曜日だ。