しあさっての方向

本と音楽と酒と詩

壁と卵焼き

誰だって、魂の暗がりに陥ることはある。

思い出したくないほどに、ひどいことをしてしまったり
人を傷つけてしまった経験は誰にもあるはずだ。

誰かを断罪できるほど、誰も立派じゃない。
だから法があり、罰があるのだ。
厳密なルールに基づいて。

「あいつは、あんなにひどいことをしたのだから、これくらいバッシングされても当然だ」

その罪と罰を、自分と「みんな」の感覚で決めることが
どれほど危険なことなのか、と僕は思う。


 「ドラマやCM降板くらいは、当然だよね」
 「芸能界に戻れなくても、しょうがないんじゃない?」
 「いい人キャラで売ってたんだから、自業自得だよ」

正義感にかられて、誰かを叩きたくなったら
キャパが撮った「丸刈りにされた女たち」を見ればいい。
ナチスに協力した女性を、戦後あざ笑うフランスの人たちの姿を写した写真を。

(正義をまとった時に、人は極限まで残酷になれる)

それは自分だったかもしれない。
もし不幸な条件が重なれば。

そう考える必要もないほど、正義の側に自分がいるのだと
本当に思えるのであれば、それでもいいけれど。