しあさっての方向

本と音楽と酒と詩

八月

昔も書いた気がするけれど、僕は戦争に反対の立場。絶対的に。戦場に行きたくないし、行かせたくない。自分も家族も仲間も、誰も。

 

死にたくないから、ではない。

殺したくないから、だ。

 


戦争で死ぬことより、戦争で殺す方が地獄だ。

息子が死ぬことよりも、息子が人を殺すことの方が地獄だ。

絶対にそうだ。

生きて帰ったとして、人殺しとして余生を生きることを想像できるか。自分の大切な人が。

 


「目の前で家族が殺されそうになった時にでも、同じことを言えるのか。それでも平和主義を貫けるのか」

 


あいつらはよく、そんな事を言う。

(そういう事を言う奴らは、全員敵だ)

その事は何度も考えた。シミュレーションもしてみた。

結論もある。でもそれは言えない。

生き方の問題だから、誰かに示す必要はない。

 


ただ、大事なことがある。

まだ、戦争は始まっていない。

なら、戦争は回避することができる。

死ぬのも殺すのも嫌だ。

逆に言うならば、それ以外の事は受け入れることができる。

 


謝ることがなんだ。譲歩することがなんだ。

プライドを傷つけられる事がなんだ。

それで、死ぬことや殺すことから遠ざかれるのであれば、僕は、それを受け入れる。

 


何を、甘い事を言っているんだ。

だから、相手に付け込まれるんだ。

もはや、そんな段階ではない。

もう、後戻りはできない。

あいつらはよく、そういう事を言う。

(そういう事を言う奴らはみんな敵だ)

 


いや違う。

そういう敵こそも、理解しよう。

決して肯定はしないが、理解しようとしてみよう。

 


彼らの正義と信じるものを、背景にある怒りを、原動力かもしれない鬱屈を、競争の中で刻まれた優越感と劣等感を、思うようにいかない日常を、自分の声を聞いてもらえなかった過去を、正解を押し付けられた教室を、支配された経験を、弱者である自分から逃れるかもしれない、攻撃性を。

 

 

 

それはきっと、僕と似ているはずだ。

もしかするとそれは、日本全体とも似ているはずだ。

それを理解して、

自分にできることをしよう。