しあさっての方向

本と音楽と酒と詩

仲井戸麗市について、昔書いた文章

気が付けば、その人の名前をノートに書き連ねていた。
ただ、それだけのことで訳もなくドキドキした。

(友達に見られたらどうしよう?っていうか本人だってそこにいるじゃん)

あわてて消して、だけどその上にまた書いてみたり。かなり間抜けな行動。
教科書を開けば、その人の名前の漢字を一つ見つけただけで息が止まりそうになったり、
その近くに自分の名前の漢字が並べば、めちゃくちゃ嬉しかったりもした。
 
 
夜中にひとり歩けば、その名前を小さくつぶやいてみる。
あわてて周りを見回してみて、今度はもう少し大きな声で。そしてまたキョロキョロ。
ただの名前なのに、その漢字の配列は魔法の力を持っていた。
その人を思うときは、姿形を思い浮かべるより、形容詞で比喩するより、ただその名前を呼んだ。
名前をつぶやけば、すべてが立ち昇ってきた。
心で唱えた、口に出した、君の名前は君そのものだった。
 
 
 
 なんだか 
 昔と違う 夜の深さ感じる時
 お前と一緒に聴きたくなるのさ あの古いメロディ
 オーティス Ah サム・クック Ah
 
なんだか
 いつもと違う 月の灯かり遠い夜は
 お前と一緒に聴きたくなるのさ あの古いメロディ
 テンプテーションズ Ah シュープリームス Ah

 
                       (今夜R&Bを・・・ /麗蘭
 
 
 
麗蘭の「今夜R&Bを.....」が好きだ。
早川の静かに撫でるようなベースラインにのせて、
チャボが愛してやまない、ソウルシンガーの名前を歌い連ねていく、
ただそれだけのシンプルなナンバー。

オーティス、サム・クックカーティス・メイフィールドドクター・ジョン........

歌われる名前の大半は、存在も知らなかったりしても、
(僕が知ってるのは、その時はジェームス・ブラウンぐらいだった)
だけど、何かに優しく包まれるような、そんな気持ちは僕にも確かに伝わってきた。
たぶん、それはチャボが彼らの音楽を抱きしめる気持ち、
あるいはオーティス・レディングサム・クックの音楽が
チャボに与えてくれたひとつのムード、なんだろうな。
そんなことを考えながら、チャボの思いのなかに身を浸す、沈んでいく。
そんな瞬間がたまらなく好きだ。
 
 
 
だけど、どういうことなんだろう。R&Bに奪われたチャボの心。
それが物語を綴るのでもなく
説明の言葉も必要とせずに、ただ名前だけで告げられる。
そして確かにコミュニケーションしてしまう。そう、オーティスなんて聴いたことの無かった僕に、チャボの思いは確かに伝わっていたのだ。
それは一体どういうことなのだろう。
 
 
 
美しい月を見て、ただ「つき」とつぶやくことしかできない。
落日を前にして、形容することもできずに立ち尽くす。「ゆうやけ」。そしてためいきを落とす。
完全な美しさも、完全な感動も、
完全な君も、そして完全な僕の思いも。
それは確かにあるのに、どうして表現できないのだろう。どうして伝わらないのだろう。
そんなもどかしさを、いつも感じていた。
それを届けることの絶望と、それでも捨てられない願望を、いつも抱いていた。
そして僕は、その名前をつぶやく。すべてをつかまえるために、ありたっけの気持ちで呼びかけるのだ。
色あせる前の瞬間をつかまえられるはずさ。
こぼれ落ちるものをとらえられるはずさ。
 
 
 
「早川岳晴 よろしくねぇー」「オンギター 土屋公平ぃー」
ライブの度に、毎回しつこいほどに繰り返される、チャボのメンバー紹介。
チャボは本当に嬉しそうにメンバーの名前を繰り返し、呼ぶ。
名前を伝えるという意味以上の、それぞれのメンバーへの信頼や愛情を伝えようとするかのようだ。
観客と同時に、その本人にも向けられている呼びかけに、
メンバーもくすぐったそうな表情を見せる。
そして、そんな光景に客席の僕も、なにか嬉しくなってしまう。
へへへ、いいなぁ。
 
 
シド・バレット、トレビ、ヘンドリックス、風月堂・・・・・・・
チャボはいつでも、自分の個人的な思いの託された名詞を、何の説明もなしに投げかける。
そして、チャボ自身の内なる世界にしか存在しない風景を描き、伝えててしまうのだ。
僕らが知り得ない70年代の新宿の雑踏や、今はもう存在しないロック喫茶での喧噪、
そこに漂っていた空気と、その風景と切り離せないチャボ自身の「思い」までも、
そのすべてを、ひとつの固有名詞で、描ききってしまう。
そして聞き手へと橋をかけ、その風景を伝えきってしまうのだ。
 
チャボにとってきっと、愛しいものの名前は、愛しいものそのものなのだろう。
だから、その名前を歌うだけで良いのだ。
あふれる思いがあるのなら、
そのありったけの思いで、その名前を歌えばいいのだ。
当然のように、その世界はそこに現れ,
当然のように、それは聞き手へと伝えられ、共有されるのだ。
 
それはミラクルだ。
だけどそのミラクルが存在することを僕たちは知っている。
そして、そのミラクルが成立する理由さえ、実は僕たちは知っている。
そう、確かに知っているのだ。
 
 
何かの歌で 何かの感動で
言葉を失ったのならば それはきっと幸せなことなんだろう。
無理矢理に探し出して陳腐な言葉を吐くよりも
本当はずっと、言葉を失っていればいいんだ。
チャボの歌は、そんなことを思い出させてくれる
いつだって
僕に出来ることはひとつだけで
だけど、本当はそれだけで十分なんだ。
 
 
僕はただつぶやくだけ 
できることは
ありったけの思いで 
つぶやくだけ
 
チャボ。