勝てたよ、ドネア。
大変申し訳ない気持ちです。
ドネア、本当に申し訳ない。
絶対に敵わないと思っていました。
上の階級から落としてきたサイズの違いはありましたが、それだけではあの戦いはできない。
あの年でどれだけ練習して研ぎ澄ましてきたのか。井上を心からリスペクトして。
そのことが伝わってきて、心を打ちました。
そうです。私は最初からドネアを応援していました。非国民的な何かです。仕方ないっす。そういう人間です。ラグビーでも・・・(以下自粛)
でもな、あのボディをもらわなければ勝ってたんだよな。(判定は、ちょっと開きすぎですね)
そして井上。
強すぎて名勝負がなかった井上の、これが名刺がわりの一戦になるでしょう。
あの苦しい戦いを勝ち切った意味は大きい。
セミファイナルでの弟の敗戦からの嫌な流れも含めて、本当の強さを証明したと思います。
その一方で、無限の強さを見せていた井上が地上に降り立った、あるいは引き摺り下ろされた一戦でもありました。
ドネアが見せた井上対策、それは誰にでもできるものではありませんが、ひとつの当たり前の事実をこの戦いは示しました。
井上も人間だ、と。
たぶんここから厳しい戦いが待っているような気がします。
何にしても、最高の試合でした。
日本で行われた世界戦、少なくともここ30年くらいの中では1・2を争うレベルの試合だったんじゃないかと思います。世界の年間最高試合になる可能性すらあります。
ボクサーにとっての幸せとは、勝つ事だけじゃなく、本当にリスペクトできる相手と出会い、ベストをぶつけあう試合ができることができることだと思うのですが、井上は今夜その最高の幸せの中にいると思います。
それでもやっぱり。ドネア、残念。
井上尚弥の試合は見たくない
明日はドネア✖️井上尚弥。
楽しみかと言われると、実はあまり楽しみではない。「見たくない」気持ちすらある。
それはちょっと言葉にはできない。それくらい既存のボクシングの常識を井上尚弥は壊してきた。
井上の存在には、これまでボクシングが積み重ねてきたものを否定するような禍々しさがある。
マイク・タイソンと重ね合わせる論調もあるが、井上に比べればまだタイソンの方が理解できる、気がする。それくらい井上の強さは異質だ。
恐らく井上は勝つだろう。しかも圧倒的な勝ち方で。あの長谷川穂積を打ち砕いたフェルナンド・モンティエルを、圧倒的な強さで倒したノニト・ドネアをだ。
とてもざわついた気持ちでいる。
(もしドネアが勝つとしたら、徹底的なステップワークでカウンターを狙うことだろう)
拮抗した試合になってくれればいいな、というのが正直な気持ちだ。
尊厳 2019
「君たちが大切にしてきたものは、俺たちの力でどうにでもできる、大したこと無いものだ」
そう言われている気がする、この頃。
フェアであること。相手の話を聞くこと、意見の違いを丁寧にすり合わせていくこと。
道理に合わない事をしないこと。
過去の人たちが築き上げたものや、専門家が一生をかけて積み上げてきた英知に、敬意を払うこと。
言葉を大切に扱うこと。
言葉を、相手を言いくるめる為だけに使わないこと。
すべての人には尊厳があり、その尊厳をないがしろにしないこと。
そんな事はすべて、どうでもいい事だったのか。
そんなに皆、怒っていないという事は。
僕には聞こえる、どこかで笑う声が。
「その時々は格好いい事言ったって、すぐに忘れるんだろう?」
「何かを批判してるようなポーズをしてみたいだけなんだろう?」
「お前らが本当に気にしてるのは、ローンの繰り上げ返済の事や、上司からの評価や、子どもの受験の事だけなんだろう?」
「組織に波風立ててまで、反対を貫く覚悟なんて無いんだろう?」
そんな風に舐められているような気がする。
他の誰でもない君と君の大切な人たちが、その人生が、舐められているんだ。
気付かないのか。
あいち
芸術に救われたことの無い人生。
それは幸せなのだろうか。
音楽や映画や文学や漫画に救われたことの無い人生。幸せとか不幸せとかじゃないか。
崖っぷちで、真島昌利のソロだけを頼りに乗り切った日々。が、あったからこそ、そうでない人だって理解しようと思える今。
それは大切な自分の一部だ。だから、表現する人になりたいと考えた。
自分の表現が誰かの一部になったら素敵だなと考えて。
とは言うものの。誰だって皆、自分なりの表現をしている。生きるということ。それは間違いなく表現だ。つまり。
(ちょっと飛躍するけど)
自分の人生や自分の表現を大切にするのなら、誰かを大切にできるはず。
自分の家族を大切にするように、多くの人を大切にできるようになりたいな。
無理せずに。
それはそんなに難しいことじゃないはず、だよね。
20190926. 今日が分水嶺
映画でよく見るよね。
戦前や戦中にタイムスリップして、戦争や特攻隊に向かう人を止めようとして止められないやつ。
主人公が必死に訴えても、皆のん気で信じてもらえないやつ。
それが今だよ。
どうするんだ。
クロ現「是枝裕和✖️ケン・ローチ」
「ケン・ローチって知ってる?
映画監督なんだけど、すごくいいんだよ。
あんま明るい話は少ないし、
何ならいつもバッドエンドなんだけど
不思議と悪い気持ちはしないんだ。
悲惨な話でも、見終わった後はなんだかエモーショナルな気持ちになるんだよ
なんか、昔のNHKのドキュメンタリーみたいに」
.
そんな事を言って、何人もの人にDVDを無理やり貸して
返ってこなくて、もう一度買ってまた貸して。
そんなことを10年以上続けてきた。
.
尊敬する人の存在や作品を、知ってもらいたい。
その媒介になるような仕事をしたい。
そんな風に考えてきた。
僕には、その人のような作品は作れないし(残念だけど)
その人のようにも、生きられないけれど(残念だな)
その人の良さや凄さは、僕が一番知っている。
僕が一番うまく、その良さを伝えられる。
.
ニュースウオッチ9ではよく亡くなった人のニュースを作った。
西城秀樹や衣笠、平尾誠二、ホーキンス博士や日野原先生も。
素敵な人の素敵な人生。
本当は少し忘れていたけれどそれは置いておいて、関係者を探して、印象的なエピソードを大急ぎで集めて、名言を選んで、その日の夜にお届けする。褒めて、悲しんで、勇気をもらって。
.
そんな仕事を楽しみながら、でも違和感もあった。
本当はそれじゃダメなんだ。死んでからじゃ遅いんだ。
清志郎も、茨木のり子も、ナンシー関も。
「あの人が生きていたら」なんて、遠い目で語っても何も変わらない。閉店セールに押しかけたり、解散コンサートに群がったりするのと同じ。
それじゃ全然ダメなんだ。
生きているうちに褒めないと。
生きているうちに伝えないと。
.
「わたしは、ダニエル・ブレイク」見た?
「エリックを探して」は? 初期の名作「ケス」もいいよ。
一番好きなのは「明日へのチケット」の短編だね。
なけなしのバイトの金でサッカーを見に行く若者が、移民の子どもに電車のチケットを盗まれて、許してあげたいけど、自分たちが捕まったら大事な試合を見れなくなってしまうから、仲間内で悩んで喧嘩して、最後に選んだ行動が、本当に最高なんだよ!
.
多くの人にケン・ローチを知ってもらいたい。
その素晴らしい映画と、反骨の人生を知ってもらいたい。
そんな番組をいつか作りたいと積み重ねてきて、おっかない先輩や優しい後輩が助けてくれて、もう少しで放送です。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4325/index.html?1567747116
ちょっと目をつむって
絆を保つためには 絆を信じることが必要だ
絆を試そうとした時から 絆は失われていく
試したり 比べたりすることで 失われるものがある
ある程度 自分の感性を磨いたのなら
あとは盲目に信じてみるのも ひとつのやり方だ
直感を信じる 信じ続ける事は
意思がなくてはできないことだ