しあさっての方向

本と音楽と酒と詩

かっこいいこと

困った時は早川義夫の本を開く。
伝説のバンド「ジャックス」を率いて、でもすぐに解散し本屋を開いて隠遁した伝説のロッカー。

ソロアルバムも出した。

そのタイトルは
「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」
こんなすごいタイトルは、他にはない。

 

1972年。僕が1歳の時に出された本「ラブゼネレーション」文庫版を愛読してきた。その序文。

「線は、のびていくことができるが、点はのびようがない。しかし、点は爆発する」

(しびれました)

「歌えないものが、歌っているものを、うらやましいと思うのは、別な歌い方を知らないだけだ」

(別の歌い方を探そうと思いました)

本当の言葉は、こんなに強いのかと気付かせてくれた人。

 

amzn.to

ソナチネ

ロシアンルーレットのように

耳式体温計を頭に突き立てて

ソナチネ北野武のように

僕はニヤリと笑ってみる

 


初めてのことだから仕方ないと

世界中が苦しんでいるのだから仕方ないと

自分たちの失敗の免責を計算して

開き直る人たちがいる

 


逃げ切れると思っているんだろう

確かだったものを曖昧にして

論理と論理を信じる人を無力にして

逃げ切れると思っているのだろう

 


今にしか価値をおかないのであれば

それは正解だ

よりよくあろうと思わなければ

それは正解だ

 


でもそうじゃない

正しい人だって死んでしまう今

因果応報なんて 信じられないけれど

それでも

 


正しくあろうとすることの力を

僕らはきっと知るだろう

よりよくあろうとすることが どれだけ人を勇気づけるかを

僕らは知るはずだ

 

 

 

冬の朝にキャッチボールを

旅行に行こう なんて言われたら 
絶対に家にいてやろうと思う感性は 
10代から変わらない
そのことに後悔はないけれど

もし後悔があるならば
その感性と その素敵さを広めなかったこと 
魅力と共に

それどころか その感性を独り占めしたり
あいつの感性より俺の方がいい とか
細かい違いのつまらない争いに血道をあげて
仲間を増やすより
敵を増やすことにかまけていたことだろうか

(それは今もかな)

風通しの良い孤独
冬の朝のような 清々しいさびしさ
誰の評価も必要としない
そんな境地を目指していたいものだけど

バッシング

誰だって、魂の暗がりに陥ることはある。

思い出したくないほどに、ひどいことをしてしまったり
人を傷つけてしまった経験は誰にもあるはずだ。

誰かを断罪できるほど、誰も立派じゃない。
だから法があり、罰があるのだ。
厳密なルールに基づいて。
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「あいつは、あんなにひどいことをしたのだから、これくらいバッシングされても当然だ」

その罪と罰を、自分と「みんな」の感覚で決めることが
どれほど危険なことなのか、と僕は思う。
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    「ドラマやCM降板くらいは、当然だよね」
 「芸能界に戻れなくても、しょうがないんじゃない?」
 「いい人キャラで売ってたんだから、自業自得だよ」

正義感にかられて、誰かを叩きたくなったら
キャパが撮った「丸刈りにされた女たち」を見ればいい。ナチスに協力した女性を、戦後あざ笑うフランスの人たちを写した写真を。

(正義をまとった時に、人は極限まで残酷になれる)


それは自分だったかもしれない。
もし不幸な条件が重なれば。

そう考える必要もないほど、正義の側に自分がいるのだと本当に思えるのであれば、それでもいいけれど。

撤退戦

五輪をあまり「コロナに打ち勝った証」にしすぎると、中止になった時の精神的ダメージが大きすぎると思う。「コロナに負けた証」となってしまう。

そもそも、勝つ負けるの戦いじゃないよ。
犠牲者をどれだけ少なく切り抜けるかの戦いじゃないかと。

どうしたって無傷で終わる事なんて無いのだとしたら、どれだけ皆で納得して進めるかが大事じゃないかと。
(僕は中止にした方がいいと思うけど)

丁寧に語るべきだよね。間違ったら間違ったと。あるいは間違える可能性は常にあるんだと。
(僕らの組織も)

現実

ハリウッド映画やドラえもんによって植え付けられた「人類共通の敵が現れたら、世界は手を取って戦う」的な幻想は、コロナによって完全に打ち砕かれた。

人類に危機が迫っても、自分(と自分の仲間)のことしか考えない奴は考えないし、危機に乗じて金を儲けたり、権勢を伸ばそうとしてきた奴はそうするし、沈む船のなかにいても嘆くばかりで何もしない奴(私もそうだ)は嘆き続ける。

身も蓋もない現実。

でもその現在地を見つめて、そこから巻き返さないと。

苦しみ

苦しみの中にいるか
苦しみの後にいるか
人は
必ずどちらかだ
苦しみの中にいるか
苦しみの後にいるのか
あなたはどちらだ
苦しみの後は 実は
苦しみの前 かもしれない
それでも
苦しみの中にいるあなたに
苦しみを後にしたあなたが
かけられる言葉がある
(誰もが苦しみを後にしたことがある)
「きっと大丈夫だ」
苦しみを越えたあなたは
苦しみをこれから越えようとするあなたへ
言うことができる
「きっと大丈夫だ」と
それが
苦しみをくぐり抜けた後に
あなたが手にするもの
どんな苦しみも 初めての経験だけど
苦しみを乗り越えたことは 初めてじゃない
きっと大丈夫だ
この苦しみも
いつか終わる
そして
この苦しみを後にしたとき
あなたは少しだけ変わる
きっと
いい方向に
きっと