しあさっての方向

本と音楽と酒と詩

変化の時代

変化の時代はチャンスだよね

大勢が変わっていくときに
その動きに合わせようとしたり
その行き先を先取りしようなんて考えないで

みなが変わることだけを目指している時は
ちょっと違う動きをしてみよう

みなが 我先に動こうとする時には
ちょっと止まってみよう
混雑している電車を一本見送る
そんなイメージで

みなが変な方向に動いているときは
ただ止まっているだけでも意味がある
ときがある

楽なもんだよ 止まってるだけなんだから
ちょっと勇気を出せば

変化の時代はチャンスだよね
大切な自分にとっての「定点」を確認するための

可愛げが大切

なんで自分の考えが伝わらないのか
なんで正しいはずの自分の考えが、主流にならないのか
そんなことを思う時は、きっと見失ってる
正しいかどうかは別にして
僕らの考え方やあり方は
現状においては少数派かもしれないということを
残念ながら

そして
少数派の考えを社会に広めていく為には
多数派より努力や作戦やアイデアや、可愛げが必要だよね

(3年くらい前に書いた文章が出てきた)

Here we go again

いつだって冷静でいたい
楽観的になりすぎず 悲観的にもなりすぎず
(でも少しだけ楽観方向で)

トップが変われば全ては変わる それは幻想 
彼は僕らの弱さを徹底的に暴いた
その弱みは今や皆が知っている
オレオレ詐偽の手口のように 
共有された日本人の弱み 組織的人間の弱み 
僕らが本当に強くならないと
また僕らは利用されて また僕らは嘆く

とは言うものの 僕らはずいぶん変わった
ずいぶん僕らは鍛えられた
僕らの中にある 良い部分と変えなければいけない部分は
ずいぶん見えてきた

Here we go againとPublic Enemyがラップする
戦いはこれからだ、とボノが歌う
何かが変わって一気に何かが変わる
そんなことはない 良くも悪くも
地道に戦い続けるしかない
それぞれのやり方と それぞれのペースで

それが小石を海に投げるような行為に思えたとしても
僕らの非力なボディブローは 実は効果があったのだと
幻想のジョー小泉が解説する

孤立せよと アジテートするのは福本伸行
僕らはまず徹底的にひとりになって 
それから団結しよう
その過程を飛ばしたら 
また僕らは数にとらわれて失敗する

それはそうと
今日だけは焼酎の美酒を呑んで
そしてまた明日考えよう

より良い社会と より良い組織と 
より良い自分を目指している限り
僕らは負けても負けない

彼らは今しか見ていない
どうやって勝ち逃げできるか それだけ 
自分の短い余生だけしか見ていない
僕らは未来へと歩んでいる
それなら 負けるわけがない

いつだって朗らかでいたい
宮沢賢治のように 宇宙の時間軸で
いいものを目指していきたい

不毛

「そういうのはもういいすから、
 早く結論を言ってもらえませんかね」

そんな視線を感じながら、
仕事の意義や、過程の大切さを話している時がある。
これ、全然届いてないなぁと思いながら
(僕と僕の言葉にカリスマ性がないのが問題だ)

不毛だけど、僕らの戦いは不毛との戦いでもあるから
体調のいい時は、もう少し頑張ってみる

「早く作業を進めたいんすよ」
そんな視線を感じながら。

仕事を楽しく

たまにバタバタ仕事をしていると「忙しくて大変でしょう」的なことを言われる時がある。
期待される答えは「いやまじで辛すぎ、今月ほぼ休んでないよ」なのかもしれないけど、実はそんなに大変じゃなかったりする。
忙しいことと大変なことは、イコールではない。

少し丁寧に言うと、こういうこと。
自分に主体性のある仕事は、忙しくても辛くはない。あるいは、自分の仕事を自分でコントロールできている時は忙しくても結構楽しい。
(そういう状況にいることばかりではないけれど)

ちょっとしたコツはある。意味もなく辛い仕事との距離。責任感も大事だけど、どうにも意義を感じられない仕事とは距離を取っていい。自分の直感を信じて。
そのうちに、そんな仕事はどこかへ行ってしまう
(どこにも行かなかったら、それは必要な苦労と諦めて向き合おう)

真島昌利も歌ってる。
「70年なら一瞬の夢さ
 やりたくないこと やってる暇はない」

忙しいことを自慢したり 
辛い境遇にいる自分を殊更に嘆いたりするときは、楽しい仕事を見つけられていないだけ
仕事を楽しくすることだって、仕事の一部だ

ときどきそんなことを忘れて
わざと誰かに聞こえるように、ため息をついていたりする

そんな時はさっさと切り上げて
一杯呑んで、漫画でも読んだ方がいい
忙しくても楽しみながら描いた漫画はすぐわかる
ページから光があふれてる

清志郎の素敵な話

忌野清志郎の素敵な話はたくさんあるけれど、
一番好きな話は糸井重里の歌詞で「パパの歌」を歌ってた頃の話。(細部はうろ覚え)

渋谷陽一に「人の歌詞を歌うのって、ロックシンガーとして嫌じゃないの?」と聞かれた清志郎が答えた。

「いいんだよ、そんなの。俺が歌えばみんな俺の歌になるんだから」と。

俺が歌えば、なんでも俺の歌になる。
まさに、童謡でも君が代でも清志郎が歌えば清志郎の歌になった。清志郎のロックに。

そんな唯一無二の歌声と自分の歌に対する自信。
僕もそんな風に自信を持ちたいとその時に思って、ずっと思ってる。

自分だけの歌声をつかんで、どんな仕事も自分らしい仕事にしてみせると。

一局の将棋

「それも一局の将棋である」

将棋に夢中になっていた中学生の頃、升田幸三とかプロ棋士の観戦記を読むのが好きだった。その中に良く出てきた表現が〈それも一局の将棋〉だった。

 


次に指す手に2つの選択肢があり、どちらかが正解とは言い切れない状況。

もし違う手を指したら、その先にはもう一つの勝負があった。それはそれで味わいのある勝負が。そんな言葉だ。なぜか心に残った。

 


自分で人生を選んだことが無いことが、長い間のコンプレックスだった。流されるように生きてきた、とまでは言わないけれど、進学でも就職でも仕事でも、期待される役割と自分の希望との落としどころを探って生きてきた。本質的な衝突は回避して。

 


選択肢が2つある時に、たとえば道を変えるかそのまま進むかという時に、道を変えたことはほとんど無い。

振り返るといくつかの分岐点があり、僕が選ばなかった道を本当は望んでいたように振り返る時がある。

 


「それも一局の将棋だった」誰かが僕の人生を振り返って、そう言ってくれたらいい。

その選択も、この選択もありだったと。

あるいは自分で自分にそう言ってあげたい。

 


そして思う。

中学生の僕は、そんな自分のこれからを予感していたのかと。